★カワサキの創生期、アメリカKMCを支えられた 杉沼浩さんが先月お亡くなりになったと、二輪車新聞の衛藤さんにお聞きした。
Facebookでも繋がっていて、この秋関西の方にも出かけたいと言われていたのにホントに残念なことである。
杉沼浩さん、旧くトーハツのアメリカ市場担当だった。
トーハツが二輪事業から撤退し、カワサキがアメリカ市場進出を決めた時、カワサキのKMCにジョインされた。
あまり知られてはいないが、勿論『7人の侍』のそれも中心的な役割を果たされた方である。
当時のカワサキには、英語を話せる人も、ましてやアメリカの二輪市場が解る人など皆無という時代だったのである。
英語が喋れて、アメリカ市場に詳しかったのは杉沼浩さんだけだったのである。
初代KMC社長の川崎航空機岩城良三常務・KMCを作ったと言っていい浜脇洋二さんと一緒の杉沼浩(一番左)さんである。
明石工場から一番最初にサービス員として、アメリカに渡った田崎雅元さん、彼がシカゴに創った部品会社がKMCのスタートでもある。 その頃の写真である。
その後、明石に戻られてからは、営業部門や企画部門で、何故か私とはいろんなことで繋がったのである。
私が番頭役を務めた大庭浩本部長時代は、海外市場を走り回られた大庭さんの横にはずっと杉沼さんがいて『通訳』の役割を果たされたのである。
杉沼浩さんは晩年、MFJの常務理事を務められたのだが、『MFJも世界を舞台に活動する時代だから、英語がちゃんと話せる方がいい』と推薦をしたのは、実は私なのである。
平井稔男さんなどと海外サーキットを造るなどいろいろと積極的な活動をされたのである。
そんな杉沼さんと、これが最後になってしまった。
昨年、東京であったカワサキのOB会の時の写真だが、懐かしい方いっぱいである。
杉沼さんが、アメリカで活躍されたころは、もう60年も前のことなのである。
お互い、年を取るはずである。
杉沼浩さんのご冥福を心からお祈り申しあげます。
杉沼さん、ホントにいろいろお世話になりました。