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人の運命と寿命

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★人には夫々その人についている運命みたいなものがあって、自分では左右できないいろんなものを背負って生きている。

寿命なども決まっているのではないかと思っている。

85歳までも生きることができて『私の人生はなかなか幸運だった』と思ってはいるのだが、考えようでは『不運であった』かも?  ものは考えようなのである。

子供の頃は今の韓国のソウル京城で育った。戦時中も何不自由なこともなく平穏に暮らしていたが、戦争で日本は負けて、当時中学1年だったが朝鮮京城から身一つで引き揚げてきた。父はふとしたことから病になって52歳で亡くなってしまった。私が高校3年の1月2日のことである。

若し父が1月に亡くならなかったら、大学などには行かずにそのまま就職してただろうし、また『違った人生』を歩んだことになったのだろうと思っている。父は私のために1月2日に亡くなってくれたような気もするのである。

 

★これは全くの運命みたいなもので、それ以降の『新しい人生』がそれから始まったのである。そんなことで殆ど受験勉強などせずに、受験科目が少ないことを条件に選んだ大学だったが、たまたま運よく入学できて、大学時代は勉強はしなかったが結構野球には熱心で、1年延ばして5回生時は野球部監督などもやったのである。

川崎航空機に入社できたのも幸運だったし、スタートしたばかりの二輪事業の世界に出会えたのも『まさに幸運』であったと思っている。『レースという世界』の人たちや、『沢山の販売店主』の人たちにも出会えた。なかなかこんな人たちには普通の大企業のサラリーマンは会えないものである。何よりも『自分の思う通りのことが出来た』そんな時代を過ごせたのである。

二輪事業がカワサキにとって経験のない初めての事業であったために、上司に経験者が居なかったので当時の第1線に出た若い人たちは自ら考え自ら進むことしかなかったのである。そんな『自分のやりたいことをやる生き方』は85歳の今も尚続いているので、これは『幸運だった』と思っているのである。

 

★そして思ってもいなかった85歳まで生きているのだが、実は今まで二度ほど死んでいてもおかしくない人生を歩んでいるのである。

その一度目は20歳大学2回生の時に『肺浸潤』と言われたのだが、当時は野球に熱中していて、休まずに野球を続けてたら『肺結核』になり空洞ができたりした。その頃『死ぬかも知れないな』と思って書きだした日記なのだが、結果的にはそれが今でも続いている。

 入社してからも、診療所の先生には『野球はダメだ』と言われてたのに、ユニホーム姿を見つかって療養所に放り込まれてしまったのだが、不思議なことに1年の入院で空洞も消えて退院した時期に、たまたま二輪事業が新しくスタートして、二輪の営業部ができて『二輪事業担当』となったのである。

あの時診療所の先生に見つからなかったら、ホントに死んでいたかも知れないし、二輪の世界とも出会っているかどうかも解らないのである。この辺りは、ホントに『運がよかった』と思っているのである。

 

★現役最後の北海道の札幌で68歳の時、突然『くも膜下出血』になったのが死にかけた2度目である。

まさに突然の出来事で、駐車違反した車をレッカーで持っていかれてしまって、駐車違反は仕方がないが『なぜレッカーで移動した』と警察署の本署で文句を言ってたら頭に血が上って突然警察で倒れてしまったのである。

警察もびっくりしたと思うが、警察の本署だったので救急車がすぐ来て、10分後には札幌の脳外科専門病院『中村記念病院』に担ぎ込まれたのである。

   

 

  このビル全体が脳外科専門病院で、専門医が30人近くいる、ちょっと関西では考えられないような病院なのである。

  その時のことこんなブログにもアップしている。  https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/aabd3d13418bf0bf90b291b36972e68c

 ムツカシイところが切れたので手術で失敗する危険もあったので、手術もせずに1ヶ月弱で退院して今まで元気にしているのである。当時の先生が仰るのに、『脳外科の先生が2.3人のほかの病院なら、必ず手術をしただろう。成功もあるだろうが失敗もあったかもしれない。「手術をしない=治療をしない?」はなかなかムツカシイ判断だが、専門医が沢山いるのでその合議で決めた。』と言われるのである。

 私が決めたわけではないのだが、そんな環境の病院に入院できたのは『運がよかった』というべきだろう。

  この二つの出来事で、『私の寿命は延びた』とも言えるのである。

 

★ それからの定年後、お蔭様で元気に生きれて、皆さんに『元気だ、元気だ』と言われてその気になっていたら、突然先週、定期的に診察を受けてる主治医に『心房細動』だと言われてしまったのである。心電図に今までそんな兆候はなかったのに突然そうなったのである。

『心房細動』など聞いたことがなかったのだが、先生が仰るのに、小渕さんや長嶋の脳梗塞が心房細胞が原因だというのである。余談だが、中村記念病院の先生が『田中角栄さん、小渕さん、長嶋さんなどは、倒れてから病院に来るまでに時間が掛り過ぎていた。あなたは幸運にも10分後には病院にいた』と 警察で倒れたのも好運だったのかも知れない。

今週火曜日にもう一度主治医の先生の診断を受けるのだが、68歳の時にくも膜下出血をやったと言ったものだから、先生は「治療法」を1週間ちょっと考えてみると仰るのである。

今はそんな状況にいるので、こんなブログも書いているのである。

 この頃はネットに情報はいっぱいで『心房細動』と検索するといっぱい現れるのである。

 別に自覚症状がある訳でもないし、こんなチャートを辿ると、『心配なし』に到着するのである。

     

 

今週火曜日にはもう一度主治医の診断を受けるのだが、本音では『運がいいから今回も何とかなるだろう』と思っているのである。

 

● 『心房細動』は80歳以上の高齢者には多くみられる症状のようで、『心房細動の5年後の死亡率』は確かに85歳あたりが一番高いのだがそれでも30%以下なので、そんなに心配することはない。90歳になると逆に減るのは、それ以外の原因で亡くなる人が多いからなのだろう。

   

● 周囲、特に子供たちは心配するだろうから、変に伝えるよりはこのブログにでも書いておけば何とか伝わるだろう。

● 高血圧などと同じで『脳梗塞になる』可能性はあるが、ならない人の方が多いのだろう。

などと呑気に思っていて、今朝もジムにも行ったし、公園でのジョッギングも続けている。

むしろ運動したほうがいいようで、運動はしても大丈夫と先生に言って貰えたので安心しているのである。

         

 今週火曜日にはもう一度診察があって『治療方法・薬』などを先生が決められるはずである。

まあ、私の場合は2回ほど死にかけたが運がよくて大丈夫だったので、今回も特に当方の意見は言わずに『先生の言われる』通りにしたいと思っているのである。

人間だれしも、その人についている運命と寿命があるのだから、バタバタせずに自然にしておけばいいと思っているのである。

多分私のことだから、このことで今までの生活態度が変わったりすることは間違いなくないだろう。

ひょっとしたら、『もうあまり余命もないから、毎日を大事に生きろ』と神様が教えてくれたのかも知れないのである。

 

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