★昨日、ネットを見ていたら、こんな北海道の日ハムの構想記事が出ていた。
私は、1900年代の一番最後の2年間を、北海道札幌で過ごした。
ちょうど今の札幌ドームの建設が進んでいた時期である。
その当時は北海道の野球ファンはみんな『巨人ファンだった』と言っていいほど、巨人の人気は凄かった。
日ハムが、札幌進出を決めて15年、いまは北海道の野球ファンの人気は『日ハムが独占』していると言ってもいい。
そんな日ハムだが、今回球場と球団の運営一体化も目指し、「ボールパーク(BP)構想」を起案。新球場建設候補地として今年の3月に札幌市ではなく、約5万8000人の北広島市に決定したというのである。
詳しくは、このニュースをどうぞ。
札幌→北広島でも続く“北海道の夢” 先を見据えた日本ハムのBP構想https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/04/24/kiji/20180423s00001173243000c.html
★北広島市とは、札幌に隣接したこんなまちである。
実は私が最後に勤めた『北海道川重建機の本社』は北広島市にあったのである。
北広島市 といっても札幌市みたいなもので北海道川重建機はこんな立地だったのだが、毎日札幌から今の札幌ドームの横を取って通っていたのである、ちなみに札幌ドームは、この地図の真ん中あたり、札幌国際大のちょっと左上の光った建物がそうである。 だから、新しい球場は北広島市に建設されるようだけど、札幌市内と殆ど変わらないのである。 それにしても、北海道なのになぜ『北広島市なのか?』 その名の由来は、このように記載されている。 北広島市は人口増加で1996年に市制施行しましたが、それまでは札幌郡広島町でした。広島の名前の由来は、広島県からの入植者が多いことに由来します。一方、北広島市の中心駅であるJR北広島駅は、1926年に鉄道が開業した時から「北広島駅」という名称でした。これは広島県にある広島駅との混同を避けるためと思われます。
つまり、町の名前が「広島町」の頃から、この地域を「北広島」と呼ぶのは、地元や隣接する札幌ではごく当たり前に行われてきました。
ですので、市制施行にあたって市名を公募した際にも「北広島市」がトップだったため、すんなりと北広島市に決まったのです。 ★ 私が北海道に行ったのは1998年だったから、すでに『北広島市』になっていたのだが、なぜ北広島なのかは、何となく思ってはいたのだが、ちゃんと調べたのは、今回が初めてである。 北海道川重建機時代は、私は未だパソコンも触れなかったし、Google検索の英語版が2002年、日本語版が2004年だそうだから、その頃は未だ『検索』などなかった時代なのである。 世の中、15年も経つと全く変わってしまうものである。