★ 2003年に70歳になった。『70歳を古希』と呼ぶらしい。
私自身はそう言う仕来りみたいなものには、トンと無関心なのだがこの年の誕生日には、息子一家が和歌山の『クエ』を持って『古希の祝い』だなどとやってきた。
あとにも先にも『クエ』など食ったのはこの時だけだが、残念ながらその味はよく覚えていないのである。
『古希の祝い』は長寿の祝いだというのだが、お蔭様で今年は85歳を迎え、15年前の70歳をこんな想いでの年として『自分史』に綴ったりしているのである。
日本の世の中は平穏無事、大したことはなかったようである。
『朝青龍が68代横綱昇進』とあるのだがこの年の1月20日に今話題の『貴乃花が引退』。
3月20日にはアメリカのフセイン当時のイラク攻撃が始まっている。
無配が続いていた田崎社長の川重が復配。単車から7人の役員が出ている。
阪神が18年振り優勝。
これらはみんな私の日記からだが、日記もなかなか役に立つ。
★ 私自身の周りでは、
●娘の方の孫の次男が小学校入学、この年の暮れに娘婿はアメリカ勤務が決まり翌年娘一家はアメリカ移住となるのである。
●パソコン関係では、『パンダ碁』に入会している。
今現在18111局になっているから、1年に約1200局、1ヶ月に100局、1日3局を打ち続けていることになる。頭の体操にもなるし、時間つぶしには『もってこい』なのである。
●『ネット株』にも、これはそのシステムが知りたくてこの年年末に始めているが、『ライブドア』などの事件が起きて結構な損をして止めてしまったが、それは翌年までの半年間のことだった。
★そんな1年だったようだが、この年の私にとっての一番の出来事は、
5月2日に『廣野ゴルフ倶楽部の乾理事長あてに親展の手紙』を出したことだと思う。
後ブログをやり出してから、こんなブログをアップしている。 http://rfuruya2.exblog.jp/8447988/
その文面の大要である。
廣野ゴルフ倶楽部、日本一のゴルフ場としてその評価は高い。その景観が美しいのは当然のことである。
70年以上の歴史をもつこの名門コースは、その長い年月を経てその木々も非常に大きく立派である。
廣野の特徴は、その外周が数キロに亘って一般道路に面していることである。少し前までは、その道路に面した部分はずっと自然のままになっていた。当然下草も生長するのである。それは、とても綺麗といえる状況ではなかったのである。
その道を通って毎朝、何十年会社に通っていた。正直何とかならぬものかと、何十年思い続けた。でも、現役の頃はどうしても言い出せなかったのである。
70歳になった春に思い切って、廣野の理事長さん宛てに親展で封書をお送りした。
「ゴルフ場の外周、道路との接点は社会との接点です。企業の社会的責任が問われる今、社会的地位の高い方がメンバーに多い廣野は、それに見合う対策をーーー。」というようなことを率直に申し上げたと思う。
私の70年の人生ではじめての投書めいた外部への意見陳述であった。
非常に丁重なご返事を頂いたのを覚えている。・・・・・・
この廣野の「ひとこと」は、私の70才以降の「生き方」を変える一事であった。
それ故に、廣野がその後毎年整備を重ねて、昨年辺りからは一部綺麗なフェアウエイが見えるまでになった時ははホントに嬉しかった。
・・・・・今朝ヨコを通って整備が始まっているのを見かけた。
家にもう一度戻って写真を撮って、Yahooに纏めた。
廣野から私への、この上もない新春のお年玉を頂いた心境である。と書いているが、今3月その整備もようやく終わって、廣野は見違えるほど綺麗に東側の外周は整備された。
私が昔、毎朝通勤をした道からは、美しいゴルフ場の景観がが見通せるまでになっている。
★いまは毎日、こんなブログで社会一般の方たちに『自分の雑感』を披露しているのだが、70歳になるまでは投書もしたことはないし、世の方たちに自分の意見など言ったことは一度もなかったのである。
毎朝廣野の横を通って通勤していて毎朝『廣野の外周は汚すぎる』と何十年思って通勤していたのだが、それを言うことはどうしても出来なかったのである。 70歳になったから『いいか』と思い切って手紙を出したら、丁寧なご返事を頂いた上に『具体的な対応』がなされたのである。あれから15年『廣野の外周=社会との接点』は綺麗に維持されているのである。
そんな 廣野ゴルフ倶楽部の対応が、その後の『私の人生』を大きく変えたと言っていい。
70歳、そんな1年だったのである。