★平昌オリンピックの開幕も もう目の前に迫った。
安倍総理の出席問題などもいろいろあったが、昨今は毎日『北朝鮮問題』で賑わっている。
果たして どんなオリンピックになるのだろうか?
このオリンピックの『開催地平昌』は3度目の挑戦でやっと決まったようである。
なぜそんなに『平昌に拘ったのか?』韓国で唯一と言ってもいい開発が遅れた地域で、このオリンピックを契機にこの地域の経済開発を図るのが目的だったようで、この開催を機にソウルから平昌までの鉄道も敷かれたようである。
★私自身は子供時代、中学1年生までを当時の朝鮮京城(今のソウル)で育ったので、韓国はある意味故郷、少なからず関心もあるしいろいろ言われているが、日本と韓国との関係ももう少し改善されたらいいなと思っているのである。
あれだけいろいろ言われている北朝鮮と韓国の問題も一端一緒にやるとなると一体感もが自然に湧き上がって、反対する人もいるのだが、応援する人も出てくるのは、かっては同一民族なのだから当然なのかも知れない。
同じ民族だったのに、1945年8月15日に、大国のエゴで突如38度線で分割されてしまった朝鮮は『太平洋戦争の最大の被害者』だと思っているのだが・・・私のすぐ近くに住んでいた方は、8月初旬から北の方に出張していたのに、あの終戦で戻れなくなってしまったのである。一般の人たちにとっては何の罪もない『突然な出来事』だったのである。もし仮に、日本が突然分断されたりしたらと、想像してみたらいい。
オリンピックの時ぐらい、『一緒にやろうと言う意識』は、同一民族の自然な想いからで、現在のムツカシイ北との関係を忘れてしまうこともあるのだろう。
★『平昌』とはこんな位置である。
朝鮮は当時は日本統治下だったし、南北などに分割されてはなかったのである。小学校ではすべて日本語だったから、逆に私などハングルは全く解らないのである。
北朝鮮の平昌五輪代表団長の金永南さんは90歳だそうだが、『日本語が解る』とあったが、当時学校に通っていた人はみんな日本語は解って当然なのである。当時から、満州―平壌―京城―釜山と鉄道がタテに走っていてその周辺を中心に発展したので、いまの北朝鮮の首都の平壌のことなどもよく知っていたし、北朝鮮の観光地でよく話題になる金剛山などのこともよく知っていたのだが、そのすぐ下の平昌などはソウルから東に100キロぐらいの立地だが、私など全く知らない地域だったのである。
こどものころの朝鮮の想い出の一つは冬の寒さと『スケート』である。その寒さは半端ではなかった。スケートは公園の池で滑るものだと思っていたし、その氷の厚さもその上を自動車が走れるほどだった。マイナス何度だったかはよく解っていないが、家のスチーム暖房は凍らないように、11月末ぐらいから焚きだすと3月末まで切らすことなく焚き続けるのである。そのボイラー室だけは外からも入れるようになっていて、『焚き屋』さんと言うプロが夜中でも石炭をくべてくれていたのである。
そんな寒さの中で育ったので、私は冬の寒さには結構強くて、仙台や札幌にも住んだがあまり寒いとも思わなかったのである。
★『まずは戦うのは寒さ』と平昌の寒さが取り上げられているので、『そんなこと』を思い出したのである。『平昌』と言う地域も、京城のすぐ東だから、寒さは同じように大変なのだろう。ただ『京城』も寒いが、雪はそんなに大したことはなかったのである。
人が住むのに一番大変なのは『寒さ』よりは『雪』だろう。日本の北国でも『県庁の所在地』などは寒くても雪は降らない地域を選んで、人は住んでいる。私が住んだことのある仙台も、札幌も雪はそんなに大したことはない。『京城・ソウル』なども、そんなに雪は降らなかったのである。
それなのに、今年の裏日本での大雪は一体どうなっているのだろう?
連日こんな光景がニュースに流れていて、こんな雪では、大変さ加減はよく解る。
もう立春は過ぎた。 寒波ももう少しだろう。
平昌オリンピックが終わるころには、今年の冬ももう目途が見えているのかも知れない。
沢山のメダル獲得を期待したいものである。