★大いに議論を呼んだ安倍さんの韓国の5輪開会式への出席問題は、結局『出席する』ことになったようである。
この問題Google で検索するとこんなにいっぱい意見が並ぶ。
こんな問題の正解はないのだ と思う。
出席しても、欠席してもそれぞれに問題はあるのだろうが、どちらが『正しかった』のかは『解らない=答えが出ない』問題なのである。
安倍さんご自身の『気持ち』とか『ご自身での判断』は間違いなくあったのだと思うが、一国の総理になると、そんな『自分の判断』だけで動くわけにもいかない事情もあるのだろう。
★もう10日以上も前、『反対論』が強かったころ、『私は結局は行くことになるのだろう』とこのブログに書いている。
★慰安婦問題が絡んでややこしくしているのだが、よく解らぬが結局は『出席する』ことになるのではないだろうか? と書いている
なぜそう思ったのか?
『私ならそう判断する』と思ったし、多分安倍さんも『そのように判断するだろう』と思ったのは
● 周囲には『賛成・反対両論』がある
● ご自身の正直な気持ちは、『欠席』だったような気もするが
● その出席問題が『大した問題』ではないこと
これが『憲法問題』のような安倍さんの政治生命を賭けて取り組まねばならぬような大きな問題なら兎も角、公明党などに『貸し』を作るためにも、『出席したほうがプラス』だと判断するだろうと思ったし、そのためには『欠席の雰囲気』にしておくほうがその効果はあるはずだし、反対派にも一応のプラスになるはずである。
『ものごとの判断』には事の大小が必ずついていて、『大したことはナイ問題』はそのどちらに判断しても『大したことはナイ』ので、むしろ問題が後に残らぬほうがいいと思うのである。
10日ほど前に、『よく解らぬが、結局は出席することになるのでは」ないだろうか?』 と書いておいたのは、若し欠席しても『私がそう書いていた』などと覚えている人は少ないだろうし、『出席したら』私はそう書いていたと書けるのである。
そんな遊び心みたいなことだったのだが、『予想が当たった』のでこんなことを書いているのである。
当たったかどうかは、そんなに大したことではナイのだが、そんな『発想過程』は結構大事だと思っているのである。