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阪神・淡路大震災から23年

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★阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源として7.3の兵庫県南部地震が発生した。近畿圏の広域が大きな被害を受け、特に神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6435名に達し、東日本大震災に次ぐ被害規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。

 と記録されている。

 

  

 

 当時は私も未だ現役だった。

 その日のこと、当時のことも鮮明に覚えていると思っているのだが、ホントに当時どのような感想を持っていたのか、日記を調べてみた。

 

  

 

『6時少し前、大地震。約1分ほど家が倒れるのか、これはすごい、本当にこれは地震なのか。地震とは別の何か別のものではないかと短い時間のうちに思った。大変なものだった。会社に出たが事務所は散乱、部品庫は被害特になし、新車倉庫で600台が転倒。ショールームは2,3階のガラスが割れる。電気が通じてTVを見てから、この地震のすごさが解った。神戸・西宮あたりはすさまじい。門野君宅は二つとも潰れたという。典子はそこに手伝いに行って連絡はあったが、今はどうしているのか。火災は神戸市内で続いている。』 

 と書いている。

 

 この短い文章に結構その時の想いが正確に記録できている。

少々、その日のことを解説すると、

 ● 正直、これは「地震ではない」爆発か何かが近くで起こったのではないかと思ったりした。普通に経験している地震の揺れとは違う全く別次元のものだったのである。

 ● 停電はしたが、家は大丈夫だったし、神戸の状況など全く解らないので、そのあといつものように『犬の散歩』もして出社した。

 ● 停電で信号はついていなかったが、道は大丈夫で明石の玉津事務所に出社した。何人かの人も出社していた。

 ● 明石の川重の工場にも行ってみたが、こちらは殆ど出社していない。ショールームの状況などチェックしたが大した被害はない。

 ● 9時過ぎ電話が通じたので、高橋本部長宅に現状報告したら『お前いまどこにいるのか?』『会社です』『ひどいことになってるぞ』と仰るのである。高橋さん宅は芦屋の高台だから、阪神間の被害の様子がお解りの様なのである。それでもそれがどの程度のものかはよく解らなかった。

 ● 10時頃だったか電気が通じて、阪神間の様子がテレビに映って、この地震のすさまじさに、びっくりして、これはどうにもならないと帰宅したのである。

 ●娘婿の実家は神戸の新開地だったので、店も家も潰れたとの連絡だけは入ったのである。

 

★周囲の状況が解っていないと、その時把握しているレベルの情報による判断での行動になるということがよく解った。

 神戸の状況が全く解らない状況では、地震の揺れが収まると、いつもの通りの行動に戻ってしまうのである。

 犬の散歩もしたし、出社するのは当然で、その時点での最大の関心事は、電気が止まってしまっているので『熱帯魚の水槽の温度

が低くなること』が心配で家内に温度を見て湯を足して欲しいと頼んで出かけたのである。

会社に出てきた連中もみんな同じ状況で、その時の一番の被害は倒れた600台の新車の処置だったのである。

高橋さんに電話で聞いた時も、こんなにひどいとは思わなかったのだが、10時過ぎにテレビを見て『ぶったまげてしまって』これは会社にいても仕方がないと、みんな帰宅させたのである。

 

★会社の生産は21日から再開されたが、この地震で二輪事業はある意味『恩恵を受けた』のである。

国内はもとより世界中から『生産がムツカシイだろうから』と受注が殺到して、国内でもバックオーダーが何ヶ月も続いたのである。

人間は、夫々周囲の状況をみて、或はその状況を推測していろんな判断をし、行動するものだということはよく解った。

そんな思い出を持っている『阪神・淡路大震災』である。

もう、アレから23年の月日が流れたのである。

 

 

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