★新聞は「現実」を見据えよ 若者は「見限っている」 元日・朝日の社説は意味不明 という
ジャーナリスト・門田隆将の産経のこの記事には共感を覚えたのでその概要を紹介してみる。
ジャーナリズムがフェイクニュースと印象操作に明け暮れた1年が終わり、新たな年が始まったことで、私はこれまでにも増して元日の社説に注目した。
さまざまな場で私は、現在が「左右対立の時代」ではなく、「観念論と現実論」との闘いの時代と評してきた。左と右、リベラルと保守-いまだにそんな古い価値基準にとらわれている人が多いことに、違和感を覚える。昨夏、読売がこの点について興味深い記事を掲載した。・・・・・・若者が、リベラルとは「自民党や日本維新の会」であり、保守とは「公明党や共産党」であるという認識を持っていることをリポートしたのだ。
安倍政権がアベノミクスや“地球儀を俯瞰する外交”を展開し、日本維新の会が大阪都構想に挑戦するなど変革を目指しているのに対して、旧来の体質のままの公明党や共産党が「保守勢力である」という斬新な考えを持つ若者たちについて初めて言及したのだ。・・・・・
2カ月後の総選挙では、この分析を裏づける結果が出た。各種世論調査で、29歳以下の若者の半分近くが「比例投票先」として自民党に投票していたことが明らかになったのだ。全世代の中で若年層が安倍政権の支持基盤になっていることが浮き彫りになった。だが、現実を分析できない新聞は、これを「若者の保守化」と論じた。
観念論の代表は朝日である。元日の社説で朝日は、〈来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を〉と題して、安倍政権は迷走しており〈与えられた豊富な時間を大切に使い、政策を着実に積み上げてきただろうか〉と非難を展開した。だが、その根拠は〈国政選挙を実に頻繁に行ったことにある〉という珍妙なものだった。・・・・・・・就職や結婚、家族の構築…といった将来の人生のために最も「現実」を見据えている若者と、主義主張にこだわるだけの新聞との乖離は、広がるばかりだ。新聞が、自分たちの方が時代遅れであることに気づいても、もはや手遅れだろう。なぜなら若者は新聞を信用していないし、とっくに「見限っている」からだ。
★ ホントにそう思う。
老人の部類に入る私でも、昨年の選挙では『比例投票先』には『日本維新』に1票を投じたのである。
常に『反対ばかり』と旧来の主張を守っている政党こそ『保守』なのだと思う。
何となく私が『安倍政権を支持している』のは言われてみると、従来の『自民党』とはちょっと違う革新性を持っているからだと思う。私は、支持する政党は特にない無党派層だが、強いて言うなら『日本維新の会』である。
間違いなく『安倍政権は保守ではない』従来の『自民党』とはちょっと違うから支持しているのである。どんどん時代は変わるし、若い人たちの生き方は変わってきたなと実感している。
★特に今年は、年明けから20歳代の孫たちと過ごしてみて、彼らが感じていることは、
● 就職できるのに就職しない。
● 卒業できるの1年休学して卒業しない。
● 不安定でどうなるかも解らない アメリカの「プロサッカー選手を目指す」
想っていることは、間違いなく『従来の常識』からは『逸脱している』のだが、そんな感覚が『革新で』従来の常識が『保守』なのだろうが、どちらが『まとも』なのかは、よく解らない。
敢えて言えば『どちらがまともだとは断言できない』そんな時代に入ってきたのだと思う。
いま世界は、従来の常識からは『一歩先を行っている』そんな気がしてならない。
いい悪いは別にして、
●『北朝鮮の核の理屈』も、
●『アメリカのトランプ大統領の政治』も、
●『それを100%支持するという安倍さん』も、
●『大谷翔平の二刀流』も、これらは全て、従来の常識からいうと『おかしい』のである。
それを『おかしい・おかしい』とばかり評論する従来の『評論家諸氏』は、リベラルではなくて保守なのだと思う。
今年は85歳になるのだが、気持ちの上でも、体力的にも『革新派』に入っていたいなと、背伸びして思っている私なのである。