★つい先日、『ホンダ小型ジェット機』に関連して、私自身の感想を書いたら、Facebook もツイッターでも大反響だった。
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/4f0388727f57c47b35f451b213a6aa81
そのブログに関して、田崎さんからも、こんなメールを頂いたのだが、二輪事業については特別の想いも持っておられるようである。
『ホンダ小型ジェット機』についてもよくご存じだし、量販事業につきものの『シェア競争』についても独自の意見をお持ちなのである。二輪事業をあまりご存じないトップが『頑張れと鞭をあてるのは無知に通じる』とその弊害を言っておられるのは、『なかなかの見識』だなと思っている。
受注産業ではない二輪事業は、TOPに『頑張れ』と言われて実力以上に『頑張り過ぎると』即『大赤字』になるのだが、何度そんな『人災』による経営危機を経験したことか。
二輪事業は、浜松出身の独特の企業が競っている業界で、川崎重工業の主体である受注産業とは、全く異なる一種独特のものなのである。
田崎さんはこのようなメールを私に送ってくれたのである。
古谷さん
貴方のブログで、ホンダジェットについてのコメントを拝見しました。
私の「大地の会」の仲間、ホンダの元社長 吉野さんが推進したプロジェクトで、いろいろ話を聞いています。他のホンダ社長は人型ロボット、アシモを推進、社長自らがプロジェクトのリーダーを務める、ホンダイズムの面目躍如といったところです。我々はこんな企業と闘っている事を肝に銘じる必要があります。シェアーでホンダを抜こうなどと計画するのは無謀です。
たまたまラッキーで、シェアーが取れても、必ず取り返されます。シェアーを目標にしてはならない!これも私の信念です。(ゼファー、もZ-1 も 相手がいなかったラッキー商品でした。) 後輩に昔こうだったから、このぐらいのシェアーを取れ!とけしかけるのは破滅への道を進めという事になります。これ位のシェアーがとれました、という報告に、それは良かったな、と軽く応じるくらいの懐がいります。「鞭は無知に通じる」と批判したら、後継者(子供)は寄り付かなくなりました。
ホンダジェットは画期的な小型機で、ジェットエンジンも同時に開発し、上昇率、速度、燃費、は圧倒的な性能のようです。航空機メーカーで、エンジンまでも開発製造するメーカーは他に無いでしょう。
短時間で30,000~40,000フィートまで上昇し、空いているゾーンを高速、低燃費で飛行する、従来の小型機とは、まったく違う航空機で、現在の他の小型機の所有者が、早く乗り換えたいと注文が殺到し、懸命に生産能力の向上を図っているが、バックオーダー解消には3年かかると言っています。・・・・
★ もう一度、この小型機のことを取り上げようと思ったのは、
東洋経済の『ホンダが航空機産業の文化を変える』というホンダエアクラフトカンパニーの藤野社長のインタビュー記事があって、その中で『ほかと同じような飛行機を造って単にシェアを奪い合うのでは成長が見込めない』
と 田崎さんと同じようなことを語っておられるからである。
詳しくお読みになりたい方は、こちらをクリックして下さい。
http://toyokeizai.net/articles/-/68952
★戦後、本田宗一郎さんは、50ccのカブという全く差別化された商品を世に出し、エンジン付きのバイクなのに技術力も、資金力もない何万店もの自転車屋さんをネットワーク化し『委託販売』という仕組みを持ち込んで、日本の二輪事業に新しい風を吹かせたのである。
そんな本田技研の伝統みたいなものが、この航空機事業には受け継がれているのである。
浜松の一中小企業が『世界のホンダ』になったように、日本の航空機業界でも三菱重工や川崎重工の航空機部門をしり目に、ホントに『ひょっとしたら』航空機産業で日本のトップを走る可能性もあるのではと思ったりするのである。
この長いインタビュー記事の中で、私が注目した部分を列記してみる。
● ホンダが航空機の研究開発を始めたのは1986年。実に29年をかけて、市場参入というスタートラインに立とうとしている。ホンダジェットの”生みの親”とされるの藤野道格社長(54)入社3年目以来、一貫して航空分野に取り組み、困難な道を切り開いてきた。
● 同じような飛行機を造って単にシェアを奪い合うのでは成長が見込めない。新しいジェットのコンセプトでいろんな人が使い始めれば、市場のパイ自体が広がると思う。そして新しい産業をつくっていく。もっとパイロットが必要になり、部品メーカーも広がるだろうし、大きなビジョンの中の一つにホンダジェットがあればいい。
● 必ずしも受注数が多いから成功するわけでもない。当初の予定より何倍も多い受注を頂いているが、受注を1000機、2000機にする必要はまったくないと思っている。確実に立ち上げて、一定数を毎年きちんと売っていけば、次につながるだろう。
● 実際、われわれのように、飛行機を納入する前にサービスセンターを立ち上げた例はあまりない。北米全体にディーラーネットワークを張り巡らせて、1時間半以内に必ずサービスを受けられる体制にしているのは、他の新規参入メーカーとはまったく違う。短期間に強いディーラーネットワークを構築したのは、ほかのメーカーから見ると脅威だろう。
●航空機産業は成熟産業で、新しい技術を生み出すためには、各技術分野での高い専門性、深い知識と経験が必要になる。また、安全や信頼性、認定など、他の産業と比べても最も高い基準が要求される産業分野でもあり、世界で結果を出すことは容易ではない。しかし、”高度な頭脳”が要求されるこの産業こそ、日本人が究めていかなければならない分野だと思う。現在はプロスポーツの分野でも多くの日本人が海外に出ていくようになった。航空機産業でも若い有能な方たちが日本の枠にとどまることなく、世界に挑戦し、世界の一流の人たちと競い合い、活躍していくことを願っています。
★創成期のホンダが、市場のパイを大きくすべく、モペット全盛期に世界GPに参入、鈴鹿サーキットを創った壮大な夢の流れと同じコンセプトである。ものを開発し、単に作るというメーカーの枠を超えて、末端のユーザーを見据えたマーケッテングマインドがここにも見える。
差別化戦略が明確で、視野が広く、基本コンセプトが確りしているのは、『サラリーマン経営者の枠』を超えている。
航空機事業が官からの『受注事業』だと考えている 所謂『大企業の発想』と全然違う次元で捉えられていて、まさに『二輪事業と同じような民需量産部門』として発想されているところに共感する。
デーラーネットワークや、サービスネットワーク構想などは、『二輪事業がベース』にある本田技研の基本的な発想なのである。
4輪と2輪は、同じ自動車工業会の中にいるのだが、その生い立ちも販売の仕組みも、全く違う事業なのである。
4輪の販売は、元々セールスが売り歩いたところからスタートしているし、二輪販売は元来、オートバイ屋さんのネットワークで売る『ネットワークシステム販売』なのである。
本田技研は、新しい航空機事業を二輪事業のような『ネット販売システム』や『部品サービス・ネットワーク』で展開しようとしているのである。
『航空機業界への参入は本田宗一郎さんの夢だった』という。
そんな夢が、50年経った今、実現しようとしているのである。
エンジンと機体を同一メーカーで開発生産することは画期的なことである。
エンジンは機体メーカーへの外販も考えている。
まさに50年前、日本の二輪業界にホンダさんが入ってきたような当時を思い起こさずにはいられない。
あの時も、三菱重工も、富士重も、トーハツなどの大企業が、浜松出身の二輪事業の競争に付いて行けずに脱落してしまったのだが、当時、米空軍のジェットエンジンなどやっていて、その生産構造システムなど先進的で、会社も若く結構アタマが柔らかかった川崎航空機だけが、何とか残っていったのである。
そう言えば、高橋鐵郎さんも、田崎雅元さんも JET出身だし、私は入社2年目から当時は日本にはなかった米空軍のIBMでの償却システムなどを創ったりしていて、みんなちょっと変わっていたのである。
『三菱重工業の子会社・三菱航空機が手がける国産ジェット旅客機「MRJ」は開発が難航している』と言われている。
『ホンダが航空機産業の文化を変える!』と言っている。
今回も、三菱重工業は、置いて行かれることになるのだろうか?
川崎重工の航空機事業本部は、どんな感想をお持ちなのだろうか?