★ホンダの小型ジェット機の生産出荷が『世界一になった』というニュースが流れた。
『ホンダはスゴイな』と思う。
現役時代、本田宗一郎さんに憧れた。
カワサキの先輩たちに二輪事業の経験者が皆無であったこともあって、私自身も全く経験のなかった二輪事業は「まさに手探りで」いろんな経験の中から、いろんなことを身に付けていったのだが、二輪営業のシステムでも、レースの展開も、販売網構築も『その師』と仰いでいたのは、個人的には本田宗一郎さんだったのである。
業界の活動や会議などには新規参入カワサキは若い私などが出席していて、何度かは、本田宗一郎さんと同席の会議も経験したし、直接その会議などでの本田宗一郎さんの発言を聞いたりしたのである。
その当時からホンダの発想は凄かったし、親しくお付き合いをしたホンダの方も何人もおられるのだが、独特のものをみなさんお持ちだったのである。
そういう意味で、『本田技研』は私にとって一種独特の企業だったし、実際にカワサキが初めて外人ライダーのデグナーとの契約をした時には、カワサキの中では教えてもらえる方がいなくて、私は本田の前川さんを鈴鹿まで訪ねて具体的なことを教えてもらったのである。
そんな本田技研に対しても航空機の分野では一歩も二歩も先を行っている筈の川崎重工業なのだが、航空機の開発生産には及んでいなくて、全くの後発メーカーだと思っていた本田技研が、
こんな小型航空機を自社開発しただけではなく、その生産販売で世界一になったのだという。
30年の歳月をかけてここまで来た。
ホンダならではと、思う。
記事にはこのように書かれている。
『ホンダの小型ジェット機「ホンダジェット」の2017年上期(1~6月)の出荷が24機になり、小型ジェット機(重量5・7トン以下)の分野で初めて世界一になった。生産体制が向上して前年同期比2・4倍に増えた。燃費の良さや広い室内などが好評で、受注を伸ばしているもようだ。
ホンダジェットは最大7人乗りで、エンジンが主翼の上にある外観が特徴。開発に約30年かけ、15年12月に納入を始めた。価格は490万ドル(約5億3千万円)。
納入前から100機以上の受注があったが、当初は月に1~2機の生産にとどまっていた。作業員の習熟度が上がったことなどで現在は月4機まで生産できるようになった。この結果、米セスナやブラジルのエンブラエルといったライバル社の機種を上回った。欧米や中南米に加え、5月には東南アジアでも営業を開始。さらに中国での受注も検討している。今後は、年間の生産量を現在の50機からフル稼働の目安となる80機程度に増やす計画だ。
日本メーカーによる航空機では、三菱航空機がジェット旅客機「MRJ」の開発を進めているが、1月には5度目の納入延期を発表。今月22日には米国で飛行試験中の機体にエンジントラブルが起きるなど苦戦している。』
本田技研、戦後の小さな企業から、あの50ccの名車カブを開発し、中大型スポーツ車に進み、鈴鹿サーキットを創り、世界のGPレースに参戦し、さらに四輪から航空機へと進んだ『常にチャレンジする社風』がこうさせたのだと思うし、これはホンダ・スズキ・ヤマハの浜松出身の独特の二輪企業体質なのである。
二輪事業は、一種独特なのである。
戦後、三菱重工も、富士重工も、トーハツも、ブリジストンという大企業も 二輪業界にいたのだが、そんな大企業が二輪業界の世界の競争の厳しさには付いて行けずにみんな撤退してしまったのである。
当時のカワサキには、そんな浜松企業に伍して頑張った『カワサキ独特の気風』もあったのだが、昨今は何となく大企業然としてしまって、安定はしているのだが、かっての無鉄砲さや がむしゃらさが無くなった ように感じるのは残念なのである。
カワサキに限らず、少し大人しくなり過ぎた二輪業界に感じてる私の本音のツイートである
私のツイッターからです。
https://twitter.com/rfuruya1
『懸命に販売すれば売れる』は錯覚。逆に市場は縮小して台数は減少。もう一度、二輪業界は 本田宗一郎さん時代の『遊び心』を取り戻してほしい。バイクも、JSも、遊びの道具。 若し、一生懸命やるのならそれは販売ではなくて『安全運転活動』
それは兎も角 あの三菱でさえ、なかなかムツカシイ航空機開発・生産をここまで持ってきた本田技研に敬意を払いたい。