★ カワサキワールドに、KAZE X-11が展示されてるというので、これはぜひ見ておきたいと、登山道夫さんと、青木隆さんとの3人で出かけた。
X-11は現役時代、私自身が色濃く絡んだプロジェクトだったので是非見ておきたかったのである。
このプロジェクトを当時担当した山田浩平くんから、朝、こんなメッセージを直接頂いたのである。
プロジェクトX-11では大変お世話になりました。
マグネのヘッドカバー がKファンに向けた私のメッセージです。現在の世界中のカーマニアが見ても何か感じるものがあると思います。開発当時はコストアップだとか執拗に上司からネチネチいわれましたが、エンス―の心を反応させるツボ(=商売のキーポイント)はエンス―にしかわかりませんね。
カウルを外して展示されているようですから、マグネのヘッドカバーが目立ってよく見えると思います。是非ご覧ください。
このプロジェクトは最後は陽の目を見なかったのである。
川崎重工業の経営会議での承認も得て、販売に取り掛かる直前に何故か消えてしまったのだが、その理由がよく解らないのである。
世の中にはそんなことも現実にあるものだ。 それまでの経過は、結構ちゃんと日時まで解っているのだが・・・・
★このプロジェクトは技術部の提案で『015計画』として、1990年4月23日にその報告会が高橋鐵郎本部長以下当時の幹部全員が出席して開催されたのである。
私は当時は国内販社を担当していたのだが、新しい4輪販売をどうするかということでメインメンバーとして出席しているのである。そしてその会議では高橋鐵郎本部長より『まず4輪の世界にスポーツの分野』で進出し、その経過を見ながら『エンジンOEMへの方向も視野』に入れてなどと言われて開発のスタートを切ったのである。
エンジン開発は約1年の月日を経てほぼ完成し、翌年の91年2月には、高橋本部長、藤川技術本部長ほか技術部担当メンバーと私を含めた販売関係者数人で会議が開催され、技術本部と当時のカワ販の関係会社 株)ケイ・スポーツ・システムのレース関連部門とで具体的なプロジェクト推進することが決定されたのである。(いずれもその会議の議事録から)
当時カワ販の二輪契約ライダーだった、多田喜代一くんがFacebook にこんな写真を載せている。
★カワサキワールドでは、こんな動画と、山田くんご推薦のマグネシュームのヘッドカバーの写真を撮ってきた。
https://www.youtube.com/watch?v=7a-G7N1Ec5M
こちらが、山田浩平くんの仰る マグネシュームのヘッドカバーである。
こんな現物のマシンが展示されていた。
★ こんなKAZE Xー11 の当時のカタログがあったのは、驚きだった。
これは当時の 株)ケイ・スポーツ・システム が作ったものである。
10年ほど前にネットで、この『カタログ製作の担当』したという貴島久裕さんとも、ひょんなことで出会ったりして、X-11の話から、さらに飛躍して、山本隆くんがモトクロスの世界に再デビューすることになったりしたのである。
この話、もう少し詳しく知りたい方は、クリックしてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/679d4583f5fc87fcc14e4ee8a61d2db0#comment-list
X-11についてのその記述は以下の通りなのである。
X-11は、90年の秋、開発NO.015の試作がほぼ完成し、その販売を中心にソフト面でのお手伝いを当時のケイスポーツシステムが引き受けた面白いプロジェクトであった。
FJ1600よりは限りなくF3に近いサーキット走行専用車で、ZX1100ccのエンジンをベースに160PS/105000rpm、車重409kg, エンジンは当然カワサキの開発陣が関わったのだが、サポートしてくれた人たちがまた、かっこよかったのである。
シャシーは、FJ1600の創始者で鈴鹿のウエストレーシングカーズ㈱社長の神谷さんが直接担当してくれた本格的なものだった。
このマシンに興味を持ったのは、出来たばかりの4輪の個人メンバーを集めようとした「TIサーキット」の千々岩さん(元ホンダ技研常務)や国井さん。
そのテストと評価は、元F3チャンピオンの佐々木さんで、その評価も上々であった。
その他、星野インパルの金子社長、星野はタイヤの契約の関係で乗れなかったのだが、この件で金子君はわざわざ明石まで足を運んでくれたりした。
レース界では名を知らぬ人は居ないほど有名だった、ダンロップの京極さんなどもタッチしてくれている。
大げさに言えば、レース界の日本の最高レベルの人たちが関与してくれていた。
KSSでは、当時のチームグリーン監督の重本君ほかが、いろいろとお手伝いをした。
当時カワサキに出入りしていた岩城洸一や二輪ライダーの宗和なども乗りたくて、乗れたときには子供のように喜んでいた。
岡山のTIサーキットでのKAZEのイベントでルマン耐久3位入賞コンビの宗和,多田が走行披露したりしたこともあった。
特に、二輪エンジン10,000回転を上回る独特のノイズが何とも言えぬいいムードであった。
TIをベースにテストは続けられ、川重社内の経営会議決済でも承認された。当時の社長の「大庭さんも上機嫌」と日記には書いてある。91-10-17のことである。
当時の雑誌、カーグラフィックにも記事が掲載され、その評価も至って良く、カタログも作って1台800万円ぐらいで売り出すべく準備をしていたのだが、そこまでの記憶も記録もあるのだが、何故本格的な発売にならなかったのか、それが解らないのである。
私としては、これくらいまでは解っているのだが、果たして今の現役諸君はどのくらいのデーターをお持ちなのであろうか?
昨日お会いした説明員の方は、あまり詳しくはご存じなかったので、ここに改めて記載しているのである。
なぜ、発売されなかったのか?だけは解らないのだが、ここに記載したことは間違いない事実なのである。
それにしても、いま『なぜ』改めてX-11の展示をする気になったのだろうか?
★当然、カワサキワールドの従来の展示場も見てきたので、ざっとその様子を動画でご紹介しておきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=Gzx0QvoHl8g
日曜日まで開催されているようだから、興味・関心のおありの方はぜひご覧になってください。
★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。