★ 私の日記帳は書棚の中にこのように並んでいる。
最初は、1年ものの当用日記を いろいろ使っていたのだが、
昭和47年からは『博文館の3年連続の連用日記』が10冊あるので、会社勤めの30年間、現役の最後まで使ったことになる。
現役引退後、5年の日記帳にしたのは毎日書くことも少なくなるだろうし、現役時代とはちょっと違がったスタイルにしたかったのだと思う。
5年日記にしてからも、既に15年になろうとしているのである。
現在の日記帳は、ご覧の通り2016年までだから、今年の秋には新しいものを買わねばならないのである。
一番最初の日記帳がこれである。
1953年(昭和28年)11月8日から、突然書き出したのである。
大学2回生のころである。
直接のきっかけは、朝日新聞に台湾の蒋介石が30年間日記を書いているのをひどく褒めていたので、『日記を書く』だけなら自分でも出来るはずだと、すぐ翌日から書き始めたのである。
11月だったし、日記帳を買うのもと思ってこんな大学ノートでスタートしているのである。
★大学2年の夏の野球部の合宿の初日に風邪をひいて、それをこじらせたまま秋のリーグ戦に入ったのだが無性にしんどくて、生まれて初めて自分で医者に見て貰ったら『肺浸潤』だというのである。
当時は『肺結核』は、ムツカシイ病気の筆頭だったから、『ひょっとしたら死ぬかな』『そんなに人生も長くないかな』と思ったりしたのは事実である。
そんなこともあって、自分の生きざまを書き残しておくのも・・と思ったかも知れないのである。
野球を止めて休養する気など毛頭なかったので、ずっと野球を続けていたら、肺浸潤ー肺結核―空洞が出来てしまって、会社に入社して3年目に診療所の先生にユニホーム姿を見つかって、即入院させられたのである。
人間つくづく『運』かな と思うのは、診療所の先生にユニホーム姿を見つかっていなかったら、入院などはしていない。入院したら不思議に空洞も消えて1年で退院して、その配属先が単車営業課だったのである。
診療所の先生のお蔭なのである。それが今の私の人生に繋がっているのである。
そんな若い頃の無鉄砲な自分だったが、日記はそのまま続いて『蒋介石の30年』の2倍にはなったので、結構満足しているのである。
★私は、専門的なムツカシイことはどうも苦手なのだが、『単純な簡単なことを続ける』ことには自信がある。
『日記を書くぐらい』毎日10分ほどの時間に、勝手にいろいろ書けばいいだけなので続いたと思うのだが、振り返って読んでみたりすると、人間の記憶は間違ってることも多いのである。
特に会社の出来事なども記録するようになってみると、正確に何年前かを振り返って見れるようにと『3年連続』にしたのだと思う。
それが今となっては、入社以来退職するまでの記録 として残っているので結構重宝しているのである。
そんなに大したことは書いていない。
最近の15年は、1日5行書けばいいだけだから、全然負担などにはならないのだが、パソコンばかりやってると『字』を忘れてしまうので、毎日幾らかでも文字を書くということは貴重だと思っている。
9月の初めから、アメリカに遊びに行くのだが、日記帳も勿論持ってゆく。
このページあたりまで、アメリカでのことが綴られるはずである。
10月に戻ったらすぐ、来年からの日記帳を買いに行かねばならない。
今の日記帳の時も『これが最後の日記帳かな・・』と思ったのだが、新しい日記帳には是非『東京オリンピック』の感想を書きたいなと思っているのである。
★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。