★世論調査とか意識調査は、よくやられる手法だが、今回の英国の『国民投票』による脱退決定などを見ていると、『世論』と言うのも相当に危ないものだなと感じてしまう。
民主主義の基本が多数決であり、多数の意見に従うことがその基準であることは解るが、
末端の意見、大衆の意見も『本当のことは解らぬままに』流れに押し流されてしまうところに危険がひそんでいるように思う。
いま『英国EU脱退』 と検索すると、こんな記事がずらーっと並らぶのである。
国民投票の結果が出た直後は『投票の結果を尊重する』と言うコメントが並んだのだが、昨今のニュースを見ていると、
『国民投票』そのモノにも、それを選んだ政治家にも問題視する意見のほうが多いのである。
端的に云うなら、『国民投票』などと言う末端の意見は、政治家の持っている情報などと比べると、殆ど何も持っていないのだから、そんな投票の結果が正しいはずがない、と言うに近い論調もあるのである。
確かに、こんな大きな問題は、本来『解らない』と言うのが本当のところなのだろうが、それを 〇 ✖ の二者択一で答えさせるところに無理があるのかも知れない。
傾向としては『行き過ぎてしまう』ことのほうが多いのだろう。
先日来、問題になっていた東京都の舛添都知事問題について、マスコミの報道が『行き過ぎ』ではなかったか?
と言う意識調査だが、その結果がこちらである。
『やり過ぎだとは思わない』と言うのが大勢だが、
私は、『舛添さん』自体の判断や行動には問題があったとは思うが、連日のマスコミのあの報道ぶりは『やり過ぎ』のように思うのである。
『事実を伝える』と言う報道の本質を超えて、新聞などの売り上げのための『オモシロおかしい』興味本位の報道になってしまっていたように思う。
★確かに、舛添さんの行動もその『セコサ』加減も相当なものだが、無駄に使われた税金とは比較でないような金額の掛かる選挙が行われようとしているのである。
英国も、日本も、EUも、いろんな『政治の仕組み』の中で運営されているのだが、末端の大衆の意見を聞いて、判断しようとすると『必ずしもそれが正しい結論』とは言えない節もあるように思う。
やはり、本来のプロである『政治家』が、プロに相応しい判断をせずに政治家として機能していないので、今回の英国の問題も、東京の問題も起こっているように思う。
やはり、政治の世界でトップに立つ人は、ホントにちゃんとした判断をして欲しいのである。
英国の問題は『キャメロンさんの判断』に、東京の問題は『舛添さんの行動』に問題があったと思うのだが、その人を選んだ時点ではそんなところまでは、見抜けないのである。
世論も、大衆の意識も、政治家の判断も、現実にはどうすればいいのか?
ムツカシイのが現実だなと、解ったような解らぬことを思っている今日この頃である。
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