★5月、新緑の季節、成長の季節だろう。
毎朝庭を見ると、毎朝、新しい発見がある。
みかんの花が咲いた。
一般にはそんなに、珍しいことではないと思うのだが、我が家のみかんはまだ実を付けたことがない。
植えてからもう5年近くになる、買ってきたときは鉢植えで、ミカンが幾つか付いていたのだが、それ以来一度も実がならない。
花が綺麗に咲くのも初めてである。
花が咲いたら実がなるのだと思う。
今年はみかんが我が家にも成るかも知れない。
こちらは『さくらんぼ』。 昨年の秋、苗を買ってきた。
今年の春、桜より一足早く花が咲いた。
『さくらんぼ』はなるかな?
と半信半疑だったのだが、いま見事に実を付けている。
この調子なら、大きくなればいっぱい『さくらんぼ』食べれるかも知れない。
バラはもう少しだが、それでも1輪、2輪花を見せ始めた。
来週には、咲きそろうだろう。
昨日は 端午の節句、5月5日だった。
そんな昔流の呼び方のほうが好きである。 菖蒲の節句とも言ったりする。
我が家の小さな池の菖蒲も花を咲かせた。
この頃は、検索をすると何でも出てくる。
『菖蒲の節句』とも確か言ったなと思って、検索してみると、こんな説明があった。
『尚武』とは初めて知った。
端午が男の子の節句になった訳は?
中国から伝わり、奈良時代、平安時代と行われていた、薬草を摘んで邪気を払うといった宮廷での端午の行事も、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。しかし、武士のあいだでは尚武(しょうぶ=武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。
やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。
はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。
さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人のあいだでは鯉のぼりが飾られるようになりました。
現在でも、端午の節句のお飾りは地方によってさまざまです。鎧や兜、武者人形、馬や虎・若武者の人形、鯉のぼりや旗のデザインもそれぞれの個性があるものです。 いろんな発見があるものである。
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