★ もう直ぐゴールデンウイークが始まる。
そのスタート4月29日が『昭和の日』
私が子供の頃は、4大節と言われて、紀元節、明治節と並んで『天長節』と呼ばれていた。
昭和の時代は、昭和64年まで64年間続いた、日本では勿論、世界でも一番長い時代だそうである。
私自身が、昭和8年の生まれなので、生涯の大きな部分を昭和の時代とともに生きたという実感を有していて、『昭和』については特別の想いを持っているのである。
● 昭和20年8月の終戦までの『戦前・戦中』時代
● 昭和20年代の『戦後の時代』
● 昭和30年代 『もはや戦後ではない』で始まり東京オリンピックで締めくくった『成長期』
● 昭和40年代は『躍進の時代』
● 昭和50年代には『安定成長期』
自分の年代で言うなら、終戦の年が12歳、中学1年だった。
食い盛りの10代後半は、戦後の食糧難の時代であった。
昭和32年に川崎航空機に入社し、昭和36年から会社としての新事業『単車事業』に関わったのである。
昭和の最後の年、昭和64年は私も52歳現役も最終段階の時期になっていた。
昭和の年代に学び、結婚し子供も生まれて、昭和とともに人生を歩んだという感じを強く持っている。
子供の頃の昭和20年までは、満州事変(昭和6年)、支那事変(昭和12年)、第二次世界大戦(昭和12年)、大東亜戦争(昭和16年)と日本だけでなく世界中が『戦争の時代』だったと言っていい。
そんな時代とそれ以降の 平和な躍進・安定の時代を経験したし、いろんなものの進歩で『世の中は一変』したそんな時代が昭和だったのだろう。
昭和天皇が崩御されて、昭和の御代はは終わり『平成』となるのだが、
『昭和の日』とはこんなことのようである。
天皇陛下は、今は平成天皇の時代なのだが、私とは同い年だし、どうしても『天皇陛下』と言うと『昭和天皇』を思い浮かべてしまうのである。
子どものころは、天皇陛下は『神の存在』であったし、あの玉音放送も炎天下の運動場で直立不動の姿勢で聞いたし、さらに戦後初めての神戸行幸の時は、宿舎がなくて今の神戸高校、当時の神戸一中の教室を改造されて泊まられたのである。
そして、中学2年生であったが、私たちのクラスは天覧授業の栄に浴し、天皇陛下はほんとにすぐ近くに立たれて授業参観をされたのである。
そんなこともあって、私にとっては『昭和の日・昭和天皇』には特別の想いもある。
戦後朝鮮からの引き揚げによる生活の一変など大変なこともあったが、沢山の経験ができたた『いい昭和時代』に生きられたことに感謝なのである。
★特に『昭和一桁』世代は、戦前を確りと『知っている』特別の世代で、『昭和二桁』になるとまさに『戦後派』でちょっと感じが違ってくるのである。
私より『2つ若い』昭和10年生まれの田崎雅元さん(元川重社長)がいつも言っていた。
『昭和一桁は、早飯で、英語と女性に弱く、ダンスが出来ない』 確かにそんな傾向なのである。
食糧難の時代に育ったのでみんな食うのは早い。男女共学は、私は中学3年生からで、男女共学の経験のない女性と話すのも『苦手な』方もおられるのである。戦時中は英語教育はどうだったのか?戦後の何年間は教科書ももう一つ方向が決まってない時代で、授業は先生次第のようなところがあった。少なくとも中学校の頃は、歴史の授業はなかったと思う。多分教科書がまだ、整備されていなかったのだろう。
中学校や女学校が、昭和一桁世代は旧制中学で、二ケタになると新制中学入学なのである。
そんなこともあって、所謂『戦後派』と言われた昭和二桁世代とはちょっと違うのだが、
段々と昭和一桁は周囲にも少なくなって、寂しい想いもしている昨今なのである。
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