★私の仲間の一人、殿界寿子さんがこんなブログをアップしていた。
http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501/e/425d46725546c24f45f01e933cf2b4d1
仲間
これは一番ややこしい
どこまでを仲間と言うのか?
境界線がない
私の 『仲間』という定義は、極めて明確だが世の中で言う『仲間』とは全然違う。
知人も多いし、一緒に仕事をした同僚も多いが、そんな人たちをすべて『仲間』とは称してはいない。
私の云う『仲間とは、想い出を共有している人たち』 なのである。
もうずっと昔の私のブログだが、
片山義美君のこと
2006-11-11 09:39:25 | M/Cレース
昨日の夕方、高橋さんに電話した。
「レースの偉い仲間たち」 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/f8b15c0f3f92da2d0966c8c335060436 に勝手に名前を出したので、了承を頂くためだった。
「聞いた、聞いた。今日、会合があって、大槻さんが会うなり話をしてくれた。」
私流の仲間の解釈を,海兵出身の高橋さんに120%の賛意を示して頂いた。
同志という言葉も出た。同志は仲間より一段上のランクか。
私が、「想い出を共有する人たちを仲間という。」とはっきり認識し、外に対して発言したのは、片山義美君の引退パーテイの時だった。
ご存知の方も多いと思うが、日本を代表する世界に名を馳せた、二輪、四輪の名ライダーである。
当時、スズキ、マツダの契約レーサーで、カワサキと直接の契約はなかったのだが、彼の主宰する神戸木の実クラブのメンバーであった山本,歳森、金谷,星野がカワサキの契約ライダーであったので、いろいろ接触はあった。
この引退パーテイで、予想もしなかった開幕の主賓の挨拶を、突然頼まれた。
断ったが、どうしてもと言われて、「スズキさん、マツダさんを差し置いて、ご挨拶をすることになったのは、多分、沢山の想い出を共有する仲間として、一言喋れということだと思う。」と前置きして、挨拶をした。
司会を務めていたのは、金谷だった。
事実、片山と金谷と私の間には、忘れることの出来ない、一つの共通の思い出があった。
その時はじめて、とっさに、この言葉が出てきたのである。
私流の「仲間」という解釈は、片山と金谷がくれた言葉だと思っている。
(このパーテイには岩崎茂樹君と2人で出席した。久しぶりに小島松久君とも会い旧交を温めた。確かヘリで来たなどと言っていた記憶があったが、先日片山義美君に会ったとき確かめたら、そうだった。)
つい先日、突然清原君から電話があり、「今、片山さんのところに来ている。飯でも食いませんか。」とわざわざ家まで迎えに来てくれて、ご馳走になった。
先ごろオートポリスで、往年の名ライダーが走った時、清原が片山にお世話になったお礼に来たのだという。
片山君は今、私も住んでいる三木市に店を持っていて、住まいも聞いてみると私と同じ町である。
たまに会っても、昨日のことのように思い出を語り合える仲間がいることは、本当に幸せである。 こんな 私流の『仲間』の解釈は、片山義美と金谷秀夫がくれた言葉だと思っている。 そんな金谷も逝ってしまった。 でも、私には『いい仲間』が、今も尚、増え続けていることも、嬉しいことである。 殿界寿子さんとは、ほんの1年ちょっとのお付き合いだが、間違いなく『想い出を共有する仲間』なのである。 『想い出』になるようなことを一緒にやらない限り、単なる『知人』で終わってしまうものである。 それは、ある意味、『ご縁』というようなものかも知れない。
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