★ 入院中の家内に頼まれて、芥川賞を受賞した又吉直樹の『火花』を買ってきた。
私自身は、あまり本は読まないのだが、『芥川賞受賞の純文学』ということもあって読んでみたのである。
その感想は、『どのように云えばいいのか、全く解らない』というのが実感なのである。
世の中の評価は当然ながら高いのだが、『なぜそうなのかも』よく解らない。
文学的なセンスがないのかも知れない。
純文学とはと調べてみたら、以下のような記述に出会った。
既存の手法を逸脱して挑戦していくジャンルが純文学というわけですね。
つまり純文学とは、経済的目的ではなく、自らの情熱を文学として表したいと熱望する人よって書かれたものと定義できると思います。ですからその内容は世間の流行に媚びるものではなく、人間の感情を大胆に表現したもで、時代背景のため明治から昭和の初期の文学は当然純文学となっていたわけですが、現在でも何か賞を受賞するといった社会的名声のためや儲けのためではなく、純粋に表現をしたいと熱望する人たちがいないわけではないので、現代の純文学というのもあると思います。
ただ現在は収入のための物書きが圧倒的に多いので、純文学と言うと明治大正昭和的雰囲気の小説のことというイメージになるのだと思います。
なるほど とは思うが、『もう一度読み返してみよう』と言うほどでもない。
ただ一般の評価はこのように高いし、マスコミの宣伝などが先行して、売れ行きは大変なものらしい。
日刊現代などでもこのように取り上げている。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/156232
いまの世の中は、特に日本は『流れ』が出来てしまうと、それが大勢になってしまう。
『火花など解らない』というのは何となく勇気がいる。
この『火花』も今年だけではなくて、何年か後にはどのような評価になるのだろうか?