★ 最近、『余生』とは一体何かな? とよく考える。
辞書を引いたら、こんな風に現れる。
生まれて死ぬまでが人生だとすれば、そのすべてが人生であって『余分の人生』などあるはずはないと、今現在はそう思っている。
多分、健康を害して『寝たきり』になってしまったら、それは『余生』なのかも知れない。
大体、お金を稼がなくなるというか、退職して『お金が入ってこなくなったら=余生』というように思っているようだが、私に限って言えば死ぬまで、年金は入ってくるから収入はある。
現役のように『通勤していないではないか?』と言われたらその通りだが、家でも働ける時代はもうそこまで来ている。
確かに、私も現役時代いろいろと頑張っていろいろやってきたが、今やってることよりそれは立派であったかと言われると、Yes と自信を持って言い切れない気もする。
★いろいろネットで探していると、こんなのに出会った。
こんなサイト。これは2015年8月20日の講演だというから、旧いものではない。
新しい発想だと思っていいのだろう。
http://homepage2.nifty.com/senior-net/jinsei/shogai.html
その中にあった表の一つである。
私自身は、82才だからここでは完熟期に入ってしまっているのだが、人生で最も価値のあるのは40歳までで、現役と余生をもし分けるのなら40歳がいいと思う。かっては人生50年、間違いなくそうなっていたように思う。
40歳までは、ちゃんと大人になって、結婚もして子供を創り、『人間社会を継続させる』というそれ以降ではなかなかできない『大変な大仕事』をしているのだが、それ以降はそれぞれ同じようなことしかできていないような気がする。
立派な仕事をしていると、仮に思ってもそれは実は『大したことではない』のである。同じようなことは、現在は60でも、70でも80才になっても出来るようになっているように思っている。
会社の仕事などというが、こんなにネット社会になって、大都会でなければ、都会の事務所に出勤しなければ『仕事にならない』などという発想は、多分間違っていると思う。
私自身も75才でパソコンに出会い、いまもし『仕事をしている』とするならば、Facebook やこのブログや、ツイッターなど無料のソフトを駆使して、少なくともNPO The Good Times というNPO法人を運営しているのである。
これは、現役なのか?余生なのか? その面白さは、現役時代以上である。
一緒に取り組んでくれている仲間は30代から70代まで、それこそ『現役』と言われる人たちなのである。 でもこれが『余生を静かに送っているのだ』と言われたら、確かにそうかも知れないと思うこともある。
★上に紹介した『生涯現役論』の最後はこんな言葉で閉じられている。
多くの経験とさまざまな能力を持った生涯現役指向世代が、自分たちの視点からみんなでの視点に行動の意識を変えるだけで、家族や社会の人間関係を改善できるといえる。前述したように、生涯現役指向世代は数的な面においても行動的な面においても、その存在は大きいのである。
したがって、この世代が積極的な社会参加をしていくことは、二一世紀の文化を創造する大きな力になるといえる。ということは、新たな価値観と行動力で、円熟世代が高齢者が生活し易い社会を創ることも可能となる。高齢者が生活し易い社会を創るということは、子供も若者も女性も誰もが住みやすい社会を創るということになる。そのためには、自分たちの自己満足や充足だけの行動を指向するのではなく、社会や多くの人々の役になる行動を指向することも必要である。
そうすることで、生涯現役指向世代は、現役世代からも期待され、これからの社会の役に立つ存在として重要視されるであろう。