★衆議院議員の武藤貴也さんがツイッターでこう呟いて、問題になったようである。
『短い言葉』での表現は難しい。
磯崎補佐官の話も、全体の演説ではなくて、発せられた『短い言葉』だけを殊更問題にしているのである。
野党が国会戦術として取り上げているので仕方がないのだが、私はそんなに大した話ではないと思っていると仮に書いたら、『大した話ではない』のところだけでの議論になってしまうのである。
武藤さんの話も、確かに問題の部分もあるのだろうが、戦後『基本的人権』が尊重され過ぎて、『個人の権利』ばかりが強調され『利己的』と言ってもいい風潮が一般に蔓延しているのは、これは事実と言っていい。
然し、いまいろいろと問題になっているのは、『安保法案』、国を如何に安全に守るかという法案の審議であって、『戦争法案』の審議ではないのだが、何故かとんでもないほうに議論が行ってしまっている。
★また、8月がやってきた。
70年前の夏、中学1年生だった。 8月15日朝鮮京城の城東中学校の校庭で、直立不動の姿勢で、あの『玉音放送』を聞いた。 よく聞こえなかったが、『日本は戦争に負けたのだ』ということだけはよく解った。
国が戦争に敗れることが、『どんなことなのか』
世の中の状況が一変するのである。 当時朝鮮は日本だったのだが、すべての朝鮮人が日本人だと意識していたわけではないのだろう。
中学校から家に戻るための市電は、『朝鮮人に占拠』されて、朝鮮の国旗が掲げられ、日本人はとても乗ることが出来ない状況になってしまっていたので、家まで歩いて帰ったのをよく覚えている。
戦いに敗れると、世の中は一変して、『個人の人権』どころか、敗戦国の主張など全く許されない環境になってしまうのが普通なのだろう。
然し、日本は間違いなく『敗戦国』であったのに、占領した国が『アメリカ』であったおかげで、『敗戦国らしい扱いも受けずに、自由で民主的な国家として再建が出来た』のだということを、日本国民は忘れてしまっているように思う。
厳しく言えば『平和ボケ』もいいところである。
当時の朝鮮は日本だったのである。
そのために朝鮮は北と南に分割されてしまった。
これは、『慰安婦問題』などとは比較にならない『朝鮮の悲劇』だと私は思っているのだが、これを指摘する人は少ない。そういう意味では朝鮮民族は、敗戦国として自らの主張も異議申し立てもできない状況だったのである。
★大体、戦争に敗れたら、国を2分されても、領土を取られても、歴史的に見たら、それは仕方のないことなのだと思う。
そこには個人の主張はおろか、国の主張さえ認められないそんな厳しい状況に直面するのである。
そんな経験をした、日本人はそのほとんどが亡くなってしまった。 当時戦争に行かれた方、内地で空襲で被害を受けた方などもおられるが、外地にいた人がある意味、一番の被害者のような気もする。
国が敗れたために、すべての財産を失ってしまったその苦しみなどは、私は中学生だったのでよく解らなかったが、いま日本の皆さんが、その財産のすべてを失うことは、どんなことなのか想像してみてほしい。
そういう意味で、個人的人権もいいのだが、まず第一に『国を守る』『国が守れる体制』を採ることが第一だと思っている。
自民党の、安倍さんのすべての施策に賛成するわけでもないのだが、この『安全保障法案』には、私は『賛成』の方向である。
戦後70年、もうそろそろ日本を、国を安全に守れる体制を採るべきである。
世界の情勢はこの70年の間にも幾つもの戦争があった。周辺諸国の状況を見ても、それに対応する施策は考えられて当然なのである。
憲法9条だけで国が守れると思うのは甘いのでは?
敗戦国になったのでは、どんな立派な言論の主張も役に立たない。
そろそろ平和ボケに終止符を打って『世界の常識』での発想をと言いたいのである。
世の中、反対ばかりかと思ったら、賛成の方も、賛成のデモもあるようだが、一向にマスコミには登場しないのである。
『世界に通じる普通の常識』を持ち合わせている人もいるのだと思った。