★どなたにも、この世に生を受けている限り 父母がいる。
昨日は、家に長寿院のお坊さんが、お盆のお参りに来られた。
母は103歳まで長生きしたが、父は54歳の若さで他界してしまった。
自顕院仁岳素雪居士 が父の戒名だが、これはなぜかよく覚えている。
母の戒名はつけて頂いたばかりなのだが、正直ちょっと覚えにくいのである。
どのようにして戒名なるものがつけられるのかよく解っていないが、母には 冨 という名の一字が入っている。 父の 素雪 は父の使っていた 雅号なのである。
位牌は 一昨年母が亡くなった時に、旧い父の位牌を止めて、母と一緒の新しいものに、これもお寺の勧めに従ったまでである。
父の生前の名前は、 錬介 となっているが、これは通称で、戸籍の名前は 錬二 なのである。
当時は、名前をいろいろと字数などで画数などから変えることが流行っていたのか、伯父は修一、父が錬二 だったのに、それをそれぞれ 脩輔、錬介 と称していたし、
伯母は 静子、母は 冨子 だったのに、私が子供のころは それぞれ 泰子、素子 を使っていた。
ちなみに、父の雅号 素雪 は、『書は橋本海関に習い、絵は橋本関雪』に習ったことが自慢の父が、関雪さんの 雪から、素雪と号したのではないかと思っているし、母の 素子もそんなところからきているのかも知れない。
★そんな名前については、何となく子供のころから関心はあったのだが、・・・・
父の死後、母は 元の 冨子に戻したし、 伯母も晩年は 静子を使っていた。
戦後、朝鮮から引き揚げ、すぐ父を亡くして5人の子供を育てて苦労した母が、
『冨 という名前だったのに 素という何か正反対の名前にしたので、苦労してるのかも・・・』と呟いたことがある。
そんなこともあって、親がつけてくれた名前など、勝手に直したりはしないほうがいいと思っている。
私も、二人の子供の名前は私がつけたが、人の名前などには、タッチなどしたくなくて今まで人名前などに関係したこともない。
★父母の戒名だが、改めて眺めてみると、なかなか立派なのだが、これがいわゆる『居士号』なのである。
『居士号』などに拘る時代も、もうぼつぼつ終わるのかも知れない。
そんなことに関係のない宗派もあるようだし、別に生前の名前さえあればいいのではなかろうかと思ったりする。
少なくとも、『ネットの世界』では、 『古谷錬太郎』と多分父がつけてくれた名前は、結構長く残るかも知れないのである。
そんな『ネットの世界』には、私が世話になった父母や伯父、伯母の名前など残されていないので、こんなブログに
伯父 古谷修一 伯母 古谷静子
父 古谷錬二 母 古谷冨子 と書いておけば、記録に残るかも知れないのである。
つい先日、Facebook のノート に 『古谷錬二のこと』と題して一文を記し、伯父と並んだ写真も、アップした。
母の写真は、私がネットをやり始めてからも、一緒にいたので、ネットの中にもいろいろ登場する。
こんな記録が残せる現代だから、昔からの伝統の 戒名 なども一考されていいのではなかろうか?