★携帯電話なるものが普及しだしたのは1980年代の後半ではなかろうか?
Wikipedia には、こんな記述が載っている。
1990年代になると普及が進み、本体に液晶ディスプレイが搭載され始めた。1990年代半ばには通信方式がアナログからデジタルへと移行し、着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディや、ポケットベルと連帯したメッセージサービスを利用できるようになった。
私の周りで一番最初に携帯を持ってたのは、藤田孝明くんで、確か1980年代後半のことである。彼以外には誰も持っていなかったと記憶している。
それが10年後の1990年後半には、周りのほとんどの人が持っているようになった。私自身は、現役時代は徹底したアナログに徹して携帯も、パソコンすらも一切触ることなく2000年に現役生活を終わったのである。
その最終の2年間は北海道川重建機にいて、携帯を持ってほしいと言われていたのだが、持つことを断って現役生活を終了したのである。
なぜ?
と言われても困るが、会社の仕事で携帯電話を持ち歩かないと困るような緊急事態などないと思っていたし、当時周囲で携帯で話している内容を聞いていると、大した話ではなくて、極端にいえば仕事をデイスターブさせているだけである。
そんな発想は、今も変わっていなくて、携帯は持ってはいるが持ち歩かない、家の電話はいつも『留守電の状態』になっている。自分が電話に出てもいい時だけ、電話に出ることにしているのである。それで十分事足りていて問題など一切起こらないのである。
★今私は、下のようなスマートフォンなるものを持っている。
然し、殆ど使ったこともないし、この電話番号を知っている人は息子と娘家族だけで、これを使うのは東京に行ったときの空港での息子との待ち合わせ連絡ぐらいで年に5回も使ったりはしないのである。
では、なぜこんなものを持っているのか?
以前、息子の嫁のノンちゃんが、母の日だったかのプレゼントで、ドコモの携帯電話を家内に贈ってくれて携帯はあったのだがその時も私も家内もほとんど使ったことがなかったのである。
2年前アメリカの娘の長男が、日本の大学の入学試験の受験のため戻ってきて、東京近郊の地図が解るスマートフォンが欲しいというのである。
それを購入するためにはドコモからauに乗り換えることが安く買える条件だったのである。
ただし購入してから、2年間という限度があって、ぼちぼちその期限が近づくので、昨日はその対策をしていたのである。
対策の方向は、auから、他社へ乗り換えることが、やはり一番いいようで、『ドコモに乗り換える』ことにしたのである。
下の動画は、そのために訪れた au と ドコモの様子である。
● 新しいドコモのスマホにする
● ドコモのガラ携 にする
● 携帯をやめる
の3つの選択肢があったのだが、結果は真ん中の『ドコモのガラ携』にした。
これで携帯は元通り家内の管理になる。 もともと母の日のプレゼントで我が家に携帯が出現したのだから、その原点に戻るのが一番いい。
こうすることによって毎月5000円ほど掛かっていたのが1500円ぐらいになるのである。
どうせ電話としては使うことは少ないので、今後スマートフォンも、ガラ携も カメラ機能が一番クローズアップするのではなかろうか?
7月1日、明日新しい契約にドコモを訪れることになる。一件落着なのである。