★昨日は、『トワイライトエクスプレスの最終列車』 だった。
1991年6月1日から、私の退職後の生活はスタートした
人間の記憶はおかしいもので、ずっと昔若いころのことの方が正確に覚えているのである。
学生の頃や、入社当時のことは、やっていたことも、その年次も意外に正確に覚えているのに、ごく最近のことは、ホントに頼りないのである。
それでも、所謂勤め人を辞めたのは、1999年の5月末であったことは、確かなので1999年から2001年までの3年間の日記をひっくり返して抜粋してみたのである。
1999年6月1日から、こんなことから始まっている。
私の最後の勤務地札幌からは、家内と一緒にトワイライトエクスプレスで三木に戻ってきた。
そこから定年後の生活が始まっている。
もうそれからでも15年の月日が流れているのである。
★これは自分のためのものだから、別に公表する積りはないのだが、整理のためにここには記録しておくことにする。
●1999年6月以降 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=911eb11ba89076214d71ee24dca74113&p=1&disp=50
●2000年 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=d48682c809d0a14708457e13115e5af5&p=1&disp=50
●2001年 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=6057a3edac0197e0d38080ccb37c53f5&p=1&disp=50
世の中、個人情報などと騒がしいが、私のパソコンの中の情報なども、どなたに見られても全然問題ない。
3年間の状況は日も明らかに載っているが、改めて見てみるとこの当時はホントに、大したことはしていない のである。
1999年の後半、半年間など、特筆すべきことなど殆どない。
2000年になって、やっと4月にバラを買って、私のバラとのお付き合いが始まっている。 そして10月に最後の孫哲也が生まれている。
2001年の5月末で、顧問期間が終わり、毎月給与が入ってくる生活が終わった。北海道川重建機のご厚意で、結構な額の顧問料を頂いていたので、人生で一番何もせずに給与を頂いていた、いい2年間だと思っている。
この2年半は、まさに一般のかたの定年後の生活そのもので、家内とあちこちに旅行をしたりのんびりと暮らしている。
★2001年の7月に、娘婿から残ったパソコンを買ってくれと頼まれて、パソコンなるものに初めて出会っている。
このことがその後の私の人生を変えたと言っていい、69歳のころである。
このブログを始めたのが、2006年9月だから、私はパソコンに出会ったのは2004年ごろだと思いこんでいたので、パソコンを始めたのは70歳になってからとずっとそう思っていた。
2001年だとすればブでの5年間、一体パソコンで何をしていたのであろうか?
そんなことは2002年からの日記帳でも見直してみないと、全然記憶がないのである。
札幌で『くも膜下出血』になって2ヶ月近く入院したのだが、手術も何もせずに治ってしまって、この期間中札幌の病院まで検査に2年間ほど通っていた時期でもある。それも顧問期間だったので、出張扱いにしてくれて、いつも北海道でのゴルフ付きの診察だったリした。
三木の整形外科に通っているが、腰やひざが痛くて、ストレッチを始めたのもこのころなのである。
★この年までの日記帳が、3年連続のもので、2002年からは5年連続に切り替えている。
2002年~2006年
2007年~2011年 の10年間はもう終わってしまって
2012年~2016年までの5年間のいま4年目を書いている。
考えてみると、退職後の生活ももう15年にもなろうとしているのである。
そう言う実感は正直、あまりない。
最近の方が、間違いなく現役時代に近いように思う。
1999年からの2年半を見て、 『何もしていないな』 というのが実感だった。
ちょっと時間が出来たら2002年からの2006年までブログを始めるまでの5年間を振り返ってみたい。