★昨日は『ある時代カワサキを支えた人』というテーマで Facebook にアップしたら沢山の『いいね』を頂いた。
大体、毎日ブログを書いて、それをFacebook にアップしている パターンなのだが、その逆を行ってみよう。
然し、Facebook のリンクをそのまま貼ったら、 Facebook やってない人でもそれを見ることが出来るのかどうか?
そのリンクは、こちらである。
私にはちゃんと見えるが、Facebook をおやりでない方にはどうなのだろう。
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今までは何も写真を出しておられなかった大槻幸雄さんが、こんな写真を出されたものだから、ちょっと纏めてみるかという気になったのである。
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こんな感じで、順不同にFacebook やってる人を拾っていくと、21人になったのである。
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こんなメンバーに、超有名人の種さんを加えて21人とした。
このほかにものれん分けをしたOBや、ライダーたちもいっぱいいるのだが、キリがないのでこれくらいに絞ったのである。
渡部タッチャんの写真にはKAWASAKI Z1 FAN CLUB の登山さんからいいコメントを頂いた。
すべてを紹介する訳にもいかないので、何人か写真で切り抜いて紹介してみたい。
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一番人気のあったのがタネさんである。
殆ど、紹介などしていないのだが、やはり情報発信の効果だろう。
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そして殿は
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写真は小さいので、大津信さんの紹介文を 以下に
大津 信 昨年11月、「KX40周年を祝う有志の会」を開催しました。
カワサキ初の本格的モトクロッサー「KX」の販売開始が1973年。モトクロッサー等のレース車を専任で開発する新組織(開発1班)が技術部に結成されたのがその前年の1972年です。その1972年当時の開発1班班長が百合草さん。当時の国内のレース活動は、ロードレースがH2Rで和田、杉本、大本、トライアルがKT250で山本、加藤、山田、モトクロスがKX125/250で竹沢、川崎、安井だった。今も世界中のモトクロスシーンで常に先陣を切って活躍し、多くのモトクロスファンの信頼を得ている「KX」のスタートは百合草さんが組織化した開発1班からです。
また、百合草さんは、「KX40周年を祝う有志の会」に寄稿集を書いてくれました。
「KX40周年にあたっての思いで」 百合草三佐雄
『第1回全日本モトクロス大会が行われたのは1958年4月、大阪府下信太山自衛隊演習地内で開催された。カワサキがオートバイ事業に進出したのが’60年だからまだカワサキ車は参加していないが、メイハツ車は参加していたかもしれない。’62年の第6回全日本では三吉選手が2位に入り、カワサキ初の入賞となった。短期間に開発できたのは設計の松本さん、実験の宗村さん、メイハツから来た堤さん、それにモトクロスの名物おやじ松尾さんによるところ大であった。
赤タンクカワサキの名声の出発は青野ヶ原自衛隊駐屯地において兵庫主催の第1回モトクロス大会(観衆1万人)にて、1~6位までカワサキが独占したことである。当時単車事業部は赤字が続き事業見直しの議論が行われていたが、赤タンクの活躍でこのカワサキの技術を活かせば事業は軌道に乗せることができるとの判断が下された。
KXの先輩が事業を救ってくれたのである。KXが’73年に生まれ、その時期のレース監督となった。平井さん率いる神戸スーパースポーツの竹沢選手が各地のレースで好成績をあげ、KXも順調なスタートを切った。
KXが生まれる前には三橋、星野,海津、山本、歳森選手らの活躍があった。KXが誕生した頃は世界モトクロスの主流はヨーロッパ勢であった。アムステルダムを拠点として岩田さんが駐在し、開発ライダーにペテルソン、レースで勝つためにハンセンと契約しヨーロッパ各地のレースに参戦し、KXの開発を行った。
’76年KMCに駐在したが、各レース場はスズキ、ヤマハのオンパレードでKXの姿は殆ど見られなかった。そこで、販売店の支援費として営業で使っていた費用をR&Dに移管してもらい、チームグリーンを創設した。ピート堤さんを長としてジョーダンを補佐とし、レースにおける代理店の支援を行った。これが当たって、各地でカワサキが驚異的な活躍をすることとなった。
例えば、’89年(年間)のラスベガスWorld Mini GPではKXのEntriesが43%、KXのWinsが71%またPonca CityのNMA FinalsではKXのEntriesが46%、Winsが76%と驚異的な成績である。これらの成績も明石の開発部隊の研鑽の賜物であり、チームワークの業績である。AMAのチャンピオンとなったジェフ・ワードが時の大統領レーガンから表彰されたのも思い出の一つである。
参考資料)小関和夫著「カワサキ モーターサイクルズ ストーリー」三樹書房』
★NPO The Good Times のホ―ムページです。
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。
★English Version です。