★ 12月21日は結婚記念日である。
その50周年を金婚式と言うのだそうだが、 特にその時も別に何もせずに済んでしまった。
2012年がそうだったのだが、その年たまたまカワサキのZ40周年のイベントがアメリカであったりして二人でアメリカの娘のところに行ったのだが、
息子は気を遣ったのか、ビジネスクラスの航空券をプレゼントしてくれた。
2週間ほどアメリカに滞在したのだが、それが金婚旅行みたいなものだったのかも知れない。
その旅行から戻ってきてしばらくして、娘からこんな写真が贈られてきた。
カラ―写真をわざわざモノクロにして、二人一緒に撮ってる写真である。
大体最近は、何枚写真を撮っても、二人並んでと言うのが少ないと言うよりナイのである。
この写真も娘のカメラに収まっていたもので、私のカメラには同じ日同じ場所だが、こんな写真しか残っていない。
まあ、それくらい枯れているのである。
『結婚記念日』 と 画像検索したら、こんな感じの華やかな写真が並んだ。
これでは華やか過ぎるので、『年寄りの結婚記念日』 で画像検索して見ると
こんな感じになった。
我が家はもっと地味だなと、『後期高齢者の結婚記念日』と検索したら、 結婚記念日は殆ど消え失せて『後期高齢者』関連と思われる写真が並んだのである。
今は未だ夕食前だが、 夕食の食卓がそんなに特別のものになるわけがナイのだが、
それでも『結婚記念日だから』 と 鴨なべだった。
★でも、50数年前、
なぜこんな年も押し詰まった12月21日に結婚式を選んだのか?
52年ほど前は、当時の川崎航空機は、それこそ単車を再建するかどうか大変な時期で、私は営業部の管理課で毎月の営業会議などの事務局担当で、めちゃくちゃ忙しかったのである。
月半ば過ぎるまでは、私が休むと営業はともかく管理関係は全てが止まるほど仕事を抱えていたのである。
周囲の人たちはみんな勝手なことを言って、
特に野球部の連中は、忘年会のシーズンだからクリスマス前がいい。
同じやるなら3時ごろからにしてくれ、それならそれを一次会にするとか・・・
会社の先輩は21日にしたら初出まで半月も休めるではないかなどと言うものだから、
12月21日の3時ごろからの披露宴となったのである。
そんな時間から新婚旅行にも行けなくて、その晩は京都に泊まったのだが、
三ノ宮から京都までは普通の快速で、見送りもカッコ悪いので断って、結婚式の司会などしてくれた小野田滋郎さん(小野田寛郎さんの弟さん)と京都までご一緒したりした。
まさに忘年会の一次会みたいな雰囲気の披露宴で、私も歌など歌わされたが、
家内も神戸高校なので、旧制神戸一中の校歌
♪ 群生色はむらさきに
金波 さゆらぐ ちぬの海
東おおのを、とうとうと、
朝日こ登るあけぼのや
希望の光、輝ける
わが世の春に似たるかな
これはなかなか歌詞もいいし、仲人の小野助治さんに『秀逸だ』 と褒めて貰ったりしたのを覚えている。
こんな想い出の結婚式から52年目である。
お互い健康なのが何にも増していいと思っている。