★ 衆議院の解散の様子をテレビで見ていた。
衆議院の解散は、憲法 第7条に基づいて行われると言う。
その憲法7条も、憲法9条も、私は学校で習ったという記憶がないのである。
終戦の翌年が中学1年生であった。 少なくとも中学時代は、歴史と言う教科がなかったと思う。
今になって考えてみると、未だ歴史の教科書が、戦後のごたごたで出来あがっていなかったのだと思う。
戦前の教育から、特にその歴史や憲法については、未だ生徒に教えるほど定着していなかったのではなかろうか?
天皇陛下が神戸行幸の際も、神戸にホテルがなくて、神戸一中の3階の教室に泊まられたりした時代なのである。
お陰で私たちのクラスは、『天覧授業』を受けたりしたのである。
ホントに未だ戦後のごたごた時代、食料難で米は食えなかったし、修学旅行など考えられなかった時代なのである。。
改めて憲法7条を検索するとこのように現れたのである。
確かに『衆議院解散』が規定されている。
テレビの画面をそのまま動画にした。
御名御璽 と言う前に 間違って万歳をしてしまって、 2度の『万歳三唱』 が行われたりした。
それにしても、衆議院議員の職を解かれるそんな時に、『なぜ万歳』なのか? を検索して調べてみたら、
以下のような説明が並んだ。
結論から申しますと、ただの慣習だそうです。
敢えて理屈を付けるのであれば、「出陣式の万歳」といったことだそうで、これをやることで国会に戻れるジンクスなんだとか。
・・・中曽根康弘元首相は「明治憲法下、紫のふくさに象徴される天皇陛下に万歳というのが始まり」と講釈し、「クビになり(選挙という戦場に)万歳、突撃すると気持ち」と・・・・自己流の解釈をなさっております。・・・・
では、一体何時、このような慣習が成立したのでしょうか。
そもそも、「万歳!」とは中国の皇帝を称える言葉で、明治時代になって日本に定着しました。1893(明治22)年、大日本帝国憲法が発布されることを記念して、皇居前で(東京)帝国大学の学生などが明治天皇の馬車を排し、「万歳! 万歳!」としたのがはじまりです。・・・・
・・・・ いずれにせよ、こういう起源で万歳という習慣がはじまり、記録によると明治30年の第11回帝国議会解散時、議長が天皇陛下の詔勅を読み上げた際、議場内に「拍手起こり、万歳と呼ぶものあり」というわけで、これ以後、衆議院解散の時に景気づけで言うようになったのではないかと思われます。
などと解説されており、確かに『ただの慣習』と言うのが当たっているようである。
★ どの政党も、『ここにいる全員が戻ってこい』 と煽ってはいたが、
本来、消費税のアップは、議員の定数削減と一緒にスタートしているはずなのだが、議員先生たちも自らのことになると、空とぼけてしまって、これは安倍さんも、殆ど口にはしなっかったし、
なぜかそんな議論は、野党からも実際には指摘があったのか、無かったのか?
野田元総理が、どこかの番組でそのことに触れていたが、如何に国政とは言え、あの議場を埋め尽くす数の議員など、どう考えても必用無いようにように思う。
確かに、もう一度戻って来れた人は『万々歳』だと思うのだが・・・・・・