★昨日こんなニュースがネット上を流れた。
「初めての表彰を受けることになり、とてもうれしい。反面、私の店より立派な店はたくさんある。
もらってもいいのかなという気持ちもあり、昨日はなかなか寝つけなかった。理事長を支えて組合をなんとかまとめようとしてきた。総会の招待状を送っても、組合員以外の出席が一人もなかった時代もあったことを考えると、とてもありがたい。よくここまでやってこられたという気持ちでいっぱいだ」
喜びの言葉も、須川さんらしい。
★ 吉田純一さんが、こんなことを地道に進めていて、コレが今回の表彰に繋がっているのである。
2年ほど前だが、『吉田純ちゃんの携帯の番号が知りたくて』 須川さんに電話をしたことがある。 須川さんなら知ってると思ってお店に電話したのである。
何十年ぶりだったが、昔と同じように話は弾んだ。
純ちゃんに電話して、そのことを伝えると、『古谷さんには私の携帯番号教えてるよ』などと言われたが、昨今は何でもすぐ忘れてしまうのである。
最近のことはすぐ忘れてしまうのだが、昔のことはよく覚えている。
須川さんに初めてお目に掛ったのは、昭和45年末、(1970)私が大阪営業所長に赴任した年である。須川さんも店を出されたばかりの未だ20代の若い頃だった。
その翌年の9月にカワサキは大阪南地区を全国で一番先に『特約店制度をスタートさせた』のである。
大阪の南地区8店だったのだが、その候補店のなかに最初は須川さんは入っていなかったのである。
岸和田にはイズシンさんや奥野さんと言う有力店があって、須川さんは未だ若く小さい店なので、同じ地区から選ぶとすればその順序が下位になるのは仕方がなかったのである。
その営業所の決定を不服として、須川さんご自身が営業所に来られて、私に直訴されたのである。
その時のことを私はよく覚えている。
店の大きさなどよりは、第1に『人』で選ぶと公言していたので、その須川さんの熱意にほだされて、岸和田は特別に3店の形でスタートしたのである。
その8店も40年経った今は須川さんと、堺の株)忍者の伊藤さんだけが残っている。
須川さんも、伊藤さんも当時はホントに小さな店だったが、お二人とも特別の想いのある方なのである。
もうお亡くなりになってしまったが、大阪の船場モータースの岡田博さんなど、私にとってはみんな『特約店制を創り上げた仲間』なのである。
Facebook の中でこんなやりとりはやっているのだが、須川さんFBなどやってないのでは?
まあ、ここに書いておけば、いつかはご本人に伝わるかも知れないと思ってアップすることにする。
須川さん、ホントにおめでとうございました。
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