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jhojinoshou 小川優君のこと

★カワサキの方ならよくご存じの 小川優君 いまはお坊さんである。

お坊さんだけど

昔の財務の経験で、NPO The Good Times の監事をお願いしている。

NPO The Good Times は、いろんな新しい取り組みばかりにチャレンジしているのだが、

いろんな規定など、理事会で小川君が YES と言ったら GO と言うことに決めている。

 

 

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そんな

小川優君だが、いまは お坊さん。

jhojin と言う漢字は聞いたことがナイのだが、、多分『浄心』か『淨仁』か、または全然違う字なのか? 今度よく聞いておこう。

 

とにかく『jhoujinoshou』というハンドルネームでツイッターをやっている

Facebookの方が、コメントや質問も簡単だから、その方がいいと勧めるのだが、

不思議なもので、Facebook, 小川君にはこれは難しいらしいのである。

 

★現役時代から勉強家で、なんでもよく知っていたのだが、

引退後勉強して坊さんになった新入社員みたいなものだから、

坊さんの下っ端かと思ったらなかなか地位の高いお坊さんらしいのである。

 

『なぜ?』と聞いてみたら、

お坊さんにも、試験があって難しい試験に合格しないと地位が上がらないのだとか、

勉強して試験に受かって、10数人いるお寺のお坊さんなのだが、トップ何人かの中に入っているらしい。

 

そんなに勉強しているのなら、ツイッターで説教でもしたら、

と薦めたら、140字での説教を始めたのである。

 

ツイッターの自己紹介にはこう書いている。

 煩悩に振り回されている浄土真宗の坊さんです。

41年間の会社勤めでは財務を中心とするスタッフ部門で鍛えられましが、今は金とは無縁の領域で生きたいと願っています。

だけどなかなか難しいものです。妻、子供に先立たれ、今は愛犬ひな(柴犬、雌、5才)との一人、一匹の暮らしです。 南無阿弥陀仏 合掌

 

★ jhojinoshou の呟きは なかなか評判が良くて、

リツイートすると、沢山の方がそれをまた『リツイート』されるのである。

こんな 説教解説なのである。

じっくり読んでみて下さい。

 

 本願寺派が編纂している歎異抄の英訳版を見つけた。他力はOther Powerで本願は(Amida's) Primal Vowと訳している。しかし他力本願は成句として統一されたものはない。一例としてthe Primal Vow,which is Other Powerがあった.  本願文は「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法」の36字で、我国とは阿弥陀仏の浄土を指しますが、浄土は幸福とは無縁の煩悩が完全に滅した言葉で説明できない世界なんです。   第一結集で、阿難が伝えた釈尊の言葉は正確なものであったでしょう。ただ、仏典として文字に著されるまで200年は経過しており、その間暗記間違いや時の権力者により不都合な部分を削除、加筆された可能性はあるでしょう。今に残る8万余の仏典には戸籍不明が多過ぎますね

経典は「如是我聞」(私は釈尊からこのように聞いた)から始まる。釈尊の説法は全て口伝であった。釈尊の没後正しい教えを後世に伝えるため弟子達500人が集まり、一つ一つ全員で確認して経典として整理した。ここでも文字等で記録されてない。今に残る経典が全て釈尊の言葉ではないと考えるのが自然   キリスト教では万物の創造主たる神を仰いで信じるから信仰という。仏教には創造主たる神はない。だから信心という。さらに浄土真宗では信心をいただくという。自力で信じるのではなく、阿弥陀如来のはたらきに出会い、気付いて信心をいただくからだ。絶対他力なんだ。   他力本願を英語ではどう表現するのか、和英辞典で調べるとsalvation by faithと出てきた。信仰による救いか。これは違うな。これはキリスト教の教義だ。英語には訳せないのか。   戦前まで他力本願を他人の力をあてにするという意味で使われたことは殆どありませんでした。マスメディアの進展に伴い、自力優勝消滅、後は他力本願にすがるだけといった表現が使われ、徐々に本来の意義から離れて行ったのでしょう。    回向とは一般的には往生のために善行功徳を積むことを言いますが、親鸞聖人は煩悩から離れられない人間に回向など出来ず、そんな人間に代わり阿弥陀如来によって回向された他力により往生が叶うと説かれました。これが他力本願であり、浄土真宗の教義の要諦です。他力はあくまでも阿弥陀仏の本願力です   冠婚葬祭の作法のガイドブックには誤りが多いな。例えば、お香典は、四十九日までは御霊前で、その後は御仏前と書かれているけど、浄土真宗は往生即成仏の教えだから通夜、葬儀の時も御仏前と書くのが正しい。同じ理由で、告別式というのはなく、単に葬儀というのが正しいんだ。   生きている人間が難行、苦行を重ねて到達する涅槃が有余涅槃だけれど、肉体を失って到達する無余涅槃と異なり絶対的な涅槃寂静ではないんだ。行により一時的に煩悩から離れても続かない。生きている限り、腹もすく、異性も恋しくなる。トキメキがない人生は淋しいでしょう。   阿弥陀如来は限りない智恵と慈悲の仏様です。金子みすずさんの詩に「さびしいとき」があります。私がさびしいとき よその人は知らないの私がさびしいとき お友達は笑うの私がさびしいとき お母さんはやさしいの私がさびしいとき 仏さまはさびしいの   私達が合掌礼拝する仏像は、法性法身そのものではなく、また法性法身を具象化したものでもない。それはあくまでも方便法身です。それでも大切なんです。「法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は異にして分つべからず。一にして同ずべからず」曇鸞大師     親鸞聖人は「法性法身とは色もなく形もましまさず、然れば心も及ばず言葉も絶えたり」と我々が認識することが出来ないものであると説かれています。浄土も同じです。法性法身である如来とは存在物ではありませんが、如から来ると書く通り真如からのはたらきかけは間違いなくあります。   法蔵菩薩が五劫もの長い間思惟して四十八願を建て、それが成就して阿弥陀如来になったんだけど、劫は時間の単位で、四方と高さが1由旬(約60km)の岩を天女が3年毎にくだってきて羽衣でひと拭いし、ついに岩が擦り減ってなくなる時間が1劫。想像を絶する長さだわな。1000年なんて一瞬なんだ   涅槃はサンスクリット語のnirvanaを漢訳したもので、元の意味は「吹き消す」という意味です。煩悩を吹き消し絶対的な静寂に達した状態が涅槃寂静です。ただ、肉体を持つ限り完全な涅槃は達成されず、死後実現される完全な状態を無余涅槃と呼び、釈尊の死を涅槃に入るというようになったのです。   悪人正機とは仏の救いの対象は正に悪人にあるということですが、ここでいう悪人とは、社会通念でいう善人・悪人ではなく、真如を前にした人間そのものです。煩悩を断ち切ることが出来ず、嘘をつき、他の生命を喰わなければ生きていけない人間そのものを指しているのです。   浄土を信じると言うより往生浄土を信じているのではないでしょうか。信じるとは自力のはたらきではなく、仏のはたらきに気付いて仏に委ねるということでしょう。浄土往生は浄土に生まれ、浄土に生きると言うことですが、生まれたものは必ず死にます。ですから往生は不生の生なのです。

 

 ★いかがでしたか?

こんな格調高いツイッターもあるのです。

やはり、Facebook で書かれる方が、広がりがあっていいと思ってしまう。

小川優君、 jhojinoshou のツイッターでした。

 

 

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