★ 今年は、カワサキNinja 発売30周年で、
カワサキワールドでは、Ninja フェアが開催されている
★ Ninja900 が発売された1984年度は私もカワサキの現役真っ盛りのころで、事業の中枢の企画に籍を置いていた。
Ninja そのネーミングの決定した経緯などには直接関わっていたのだが、それ以外のNinja についてのことなど正直あまり覚えてはいないのである。
レース関連などについても全くどんな状況だったのか覚えていない。
1984年と言えば、むしろジェットスキーを単車事業の正規の事業にすべく奔走していたころである。
それまでは発動機事業部がエンジンをアメリカのリンカーン工場に供給し、そこで生産していたものをアメリカのKMCが販売していて、単車事業部としては何ら直接には関与していなかった時代なのである。
それを故武本一郎さんが単車の事業に正規に取り上げようと、どこにも担当部門がなかったので、企画室企画部で担当してそれに躍起になっていた時期である。JJSBAが設立されたのもその年だし、国内にジェットスキー専門の販社を立ちあげようとしたのもそのころのことである。
★そんな時代から30年が過ぎて、
不思議なご縁でまたNinja 30周年のイベントに少し関係したプロジェクトを何かやりたいと、私の周りの人たちが動いている。
昨日のFacebook には、こんな記事が流れた。
この湊さんの記事は、KAWASAKI Z1 FAN CLUB が企画しているこんな催し、3月8日、9日とあるのだが、
3月9日の最終日にカワサキワールドに集まって、
当時のカワサキの関係者や、現在のファン達を結んだ、昼食会兼トーク懇親会でもしようかと言うことになっているのである。
★ところで、Ninja900の開発担当は誰だったのか?
そんなこと知らなかったのだが・・・
カワサキのファンは何でも知っているものである。
KAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局長の登山道夫さんが
『Father of Ninja』という名刺を見たことがあるので、その人に違いないというのである。
その人の名は 山田浩平 現在のカワサキの技術本部長さんなのである。
『ホントか?』と思って確かめてみたら『ホント』のようである。
そんな珍しい名刺をドイツのMicky Hesse が持っていて、それを見せてもらったことがあるというのである。
30年前の山田浩平くん、X11の開発で彼との接点が生まれたのだが、X11開発を担当するもっと前のことである。
山田浩平くん、ひょこむでのハンドルネームは胡蝶さんである。
そのころのトモダチたちもいっぱい来るので、出来れば是非顔を見せてほしいと思っている。
そんなNinja なのだが、そのネーミングは延々と受け継がれて、30年経った今もNinja が発売されたりしている。
その3月9日には今年から立ちあげる平井稔男さんの
『神戸スーパースポーツレーシング』KSSRの話も固まるはずである。
8耐出場も計画されていて、今年の夏の8耐には久しぶりに鈴鹿にも行ってみようかなと思っている昨今である。
もう1週間の内に、明確なニュースとして、
KAWASAKI Z1 FAN CLUB からその内容が発表されるはずである。
すでに参加されるメンバーの中枢は決まっているのだが、MAX50人までは、一般のファンの人たちにも参加の機会があるので、
ご希望の方は、ぜひKAWASAKI Z1 FAN CLUB のFacebook の案内を見逃さないように・・・・
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