★音楽、特にクラシックなど、あまり関心もなかったので、
佐村河内守さんなど、そんな名前も聞いたこともなかったし、今回の事件?はビックリした。
こんな記事がどこかに出ていたのだが、
仮に誰かに作って貰っていたとしても、その曲自体が音楽として本当に評価できたものなのかどうか?
今現在でもいい、音楽評論家や世の中に沢山いる専門家に聞いてみたい気がする。
どうも物事、特に芸術に対する評価などは、高名な名前などが先にあって、それによって実際よりも高い評価が与えられている場合が多いような気がする。
音楽の評価に『全聾』などが加算されること自体がおかしいのだが、『ヒロシマ』や『ハンディキャップ』や その容姿やさらに言えばちょっと読み難い名字までもが加算されて、それをマスコミが追随記事など書くものだから、
どんどん美化され、『創り上げられた名曲』になってしまったのではなかろうか?
この容姿も、なかなか芸術家、音楽家めいている。
日本人は、世の中の流れには、間違いなく乗ってしまう。一端流れが出来ると、それが本流になってしまって、反対意見など滅多なことでもない限り出たりはしないのである。
★ 佐村河内守さんは20年近くもずっと曲を書いてもらっていたというのだが、本などの世界では当たり前のように、名前だけ使って有名人は書いてもらっている本など世のなかにいっぱいあるのだから、
確かに、騙したと言えばその通りなのだが、騙されて拍手喝采していた人の方が『バカ』と言うだけの話のような気もする。
イヤ曲そのものは立派な曲だというのなら、それはそれでいいのではなかろうか。
今この曲は、これは誰が作ったのかは別にして、『現代のベートーベン』と言ってもいい立派なクラシック音楽だという評論家はいないのかなと思うのである。
『現代のベートーベン』とは最高の賞讃のレベルだろうから、そこまで言われていた音楽が作者が違ったからと言って音楽自体の評価が変わること自体がおかしいと言わざるを得ないのである。
私など、特に芸術のセンスなどナイので、『ピカソの絵』などいいと思ったことなど一度もない。
どう見ても『変な絵』だとしか思えないのだが、『アレはダメだ』と言い切れるほどの見識もないので黙っているだけである。
今朝もマスコミは耳が聞こえたかどうかなどばかりを追っかけている。
そんなことよりも、この曲そのもののの評価について、どなたか明確な意見を言ってくれる人はいないのだろうか?
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