★ 小野田寛郎さんが亡くなったというニュースが流れた。
私自身、いろんなことで影響を受けた 小野田滋郎さんのお兄さんである。
画像検索してるとこんな写真が見つかった。
小野田寛郎、小野田滋郎 ご兄弟である。
あまりにも若過ぎて、よく解らない。 よく似ておいでである。
★ 小野田滋郎さん、 私が初めてお会いした時はカワサキ自動車販売の総務課長兼広告宣伝課長さんだった。
未だ、神田に事務所があったころで50年前のことである。
カワサキのレースをスタートさせ、カワサキコンバットを創ったりしたのは、間違いなく小野田滋郎さんである。
カワサキのファクトリーレースのスタートと言われる青野ケ原モトクロスの2年ほど前、マシンはB7の時代である。
『薫陶を受けた』という言葉があるが、 私の生涯で最もそれを使うに相応しい人が、 小野田滋郎さんである。
今も、その教えはちゃんと身についていて、実行出来ている。
ご縁があって、いろいろ一緒に仕事をさせて頂いたし
その小野田さんから、『兄がフィリッピンにいるらしい』と言う話は、幾度か聞かされた。
『小野田さんのお兄さんなら間違いなく生きている』と私は思ったし、小野田さんにもそのように話したりしていた。
当時の小野田さんの ちょっと真似のできない猛烈な仕事ぶりから、そんな風に思ったのである。
そのころから10年の歳月が流れて、
1972年10月22日の私の日記に、小野田滋郎さんと、小野田寛郎さんのことを書いていて、
そのことをずっと後に、こんなブログにアップしている。
★このこと自体が、もう40年も前のことなのだが、
そんな小野田さん、ご兄弟もおられなくなってしまった。
人生にはいろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
と40年前に書いているが、本当に大きな影響を受けた
『小野田滋郎』と検索すると、こんなにいっぱい私のブログが現れるのである。
小野田滋郎さん、お兄さんの小野田寛郎郎さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
安らかにお眠りください。