★昨日のニュースで岐阜県が川崎重工業から最新鋭のヘリを購入、のニュースが流れました。
「川崎式BK117ヘリコプター」は、当社と欧州のヘリコプターメーカーECD社〔旧MBB社(メッサーシュミッ ト・ベルコウ・ブロウム社)〕が共同開発したヘリコプターで、物資・人員輸送、消防・防災、警察、ドクターヘリ、報道など多用途に活用される中型 双発機です。
BK117ヘリコプターは、国産ヘリコプターとして1983年の初号機納入以来改良を重ね、優れた技術力と高い信頼性により、当社納入分 (2013年6月28日時点)で158機、ECD社納入分を合わせると 全世界で1,000機以上の納入を誇るベストセラー機です。
などと説明されています。
★ 『一体1機幾らぐらいするのだろう?』
私が、最初に思ったのはその値段なのです。
事務屋のそれも技術オンチの私が、話すヘリの話だから、どこまで合っているか解らないのですが、その値段だけは、50年近くも前の話だが、間違ってはいないのです。
昭和38年(1963年)当時は、まだ川崎航空機の時代で、ヘリコプターは明石工場のジェット部門でベルのヘリコプターの製造をやっていたし、そのパイロットも整備士たちも居たのです。
単車を川崎航空機の主力部門に育てるべく、沢山の人たちがジェット部門から単車に異動してきたそんな時期で、高橋鉄郎さんも、田崎雅元さんも、田村一郎さんなどもみんなジェット部門からの異動者だったのですが、私の直接の上司の苧野豊秋さんもそんなお一人だったのです。
当時、私は広告宣伝課で、単車事業を育てるために、特別に本社開発費で1億2000万円もの広告宣伝費があった時代だったものですから、、広告宣伝用にヘリを持とうと、苧野さんが古巣のジェットから、下取りをした中古のヘリコプターを都合してきて頂いたのです。ヘリの財産としての償却期間は4年なので、既に4年は経っている償却済みで1割の残存価格だったから、その簿価は100万円の台だったので十分に購入可能だったのです。
そんな100万円台のヘリを使って、全国あちこちを飛び回り、その地区でカワサキのバイクを買ってくれたお客さんや、販売店の見込客などを乗せて、販促活動に使ったりしていました。
カレンダーに使う、鳥取砂丘の撮影に、鳥取まで飛ばしたこともあります。
撮影隊は当時は京都周りの夜行で一晩かけての鳥取行きだったのですが、明石からヘリだと1時間足らずで行ってしまいます。行きは夜行に乗って一晩かけての鳥取行きでしたが帰りはヘリに乗せて貰ったら中国山脈を越えて1時間で明石まで戻ってきました。
ヘリ自体は広告宣伝課の財産で使う時だけ、ヘリのパイロットと整備士にお願いし、航空燃料を運び、ヘリを飛ばしたり着陸させる申請さえすれば至って簡単でした。
モトクロレースなどにも、大きな大会にはヘリを帯同していました。
この写真は、東京オリンピックの開会式の当日伊豆丸の山で開催されたMCFAJ 全日本モトクロスの開会式の様子です。
この大会は4種目中3種目をカワサキが優勝してモトクロスの世界にカワサキの地位を確固としたそんな大会でした。
そのチャンピオン最優秀選手に輝いた山本隆くんからの写真提供です。
ヘリは写っていませんが、確かこのお嬢さんもヘリに乗ってこの会場にきましたし花束もヘリから落とされたものではなかったかと思います。
ヘリを運航するために、その航空燃料を明石からトラックに積んで運んできたのだと思いますが、今なら許されないのかも知れません。
ライタ―のオイルにヘリの燃料がいいと、ライダーたちの間で人気だったりしました。
そんな関係でで、この1年後ぐらいあとに創ったマシンF21Mのフレームに使ったクロモリ(クロームモリブデン)のパイプは、ヘリのパイプを貰ってきたものなのです。
そんなヘリコプターだったのですが、『飛行時間が規定時間を超える』とオーバーホールをしなければなりません。期待の財産価格は100万円ちょっとだったのですが、オーバーホール代が1000万円に近いので、とてもそんな金を出しことは出来ないからと2年ほどで手放してしまいました。
こんなに大きくはない確か3人か4人乗りのヘリでしたが、
FISCOの日本GPの時も来ていて、空からGPレースを見たりもしたものです。
その後ヘリコプター部門は、岐阜工場に移ってしまって、ヘリの整備士としていろいろお世話になった人たちも単車部門に異動してきたりしました。
カワ販やKMJの方がよくご存じの私と同じ名前の古谷君は、元ヘリの整備士で、鳥取から私はヘリに乗せて貰いましたが、代わりに古谷君はヘリの整備士の服装のままで汽車に乗って明石に戻ってくれたのです。
ちなみに、ヘリのパイロットや整備士は、地方に行くと女の子にカッコいいとおおモテでした。
広告宣伝課にヘリがあって、それを自由に飛ばしていた時代、懐かしい思い出です。
当時、レースとヘリの担当だった大西健治君も、今は故人となってしまわれています。ずっと昔の物語です。
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