★『二輪文化を伝える会』 という NPO The Good Times の特別プロジェクトがあります。
昨年の夏に立ちあげられましたが、日本の二輪文化を伝えるべく非常に地道な活動を続けています。
その中心の実務を担当しておられるのは、松島裕さんです。
今から30年かかって纏めると、壮大な夢を語っていますが、たった半年ほどですが、既に立派な資料がいっぱいです。
二輪文化にご関心のある方は、xぜひご覧になってみてください。 非常にまじめな取り組みであることがお解りになると思います。
このブログでも、新しく『二輪文化を伝える会』と言うカテゴリーを創って、ご紹介をして行きたいと思います。
昨日はそのFacebook ページに、こんな記事が載りました。
以下ご紹介する記事は、そこに紹介されているブログの記事です。
『詳しい人からすれば、違うよ〜、という事もあるでしょうが、少ないなりに一応それなりの資料を参考にしていますので、大きな間違いはないと思います』
と書かれていますが、殆ど間違いないと思います。
昭和28年に発動機の単体エンジンからのスタートですが、そのように聞いています。
私は昭和32年に川崎航空機入社ですが、ここに書かれているような話はよく聞きました。
高槻工場でもバイクのエンジンをやっていたようです。単車事業本部長、KMJ社長など歴任され、後川崎重工業の副社長をされた高橋鉄郎さんは、高槻工場でバイクのエンジンやられてたと、ご本人から聞きました。
大日本機械や、川崎明発工業などの名前もよく聞きます。私が単車に異動した昭和36年末には、カワサキ自動車販売に既になっていました。
そしてクルマとしてはB7の時代です。既にそのころは完成車になっていました。
カワサキのエンジンの時代のことが、今解る方は 平井稔男さんだけかも知れません。
こんなに、ちゃんと纏められて書かれてあるのは、初めて見ましたので、ご紹介したいと思います。
<メイハツKB−1/2/3>(1953〜)
「カワサキ」としてのモーターサイクル事業は小型エンジンの供給から始まっています。
まぁ、会社としての成り立ちが複雑で、名前が変わったり分裂したりくっついたりと、どこから「カワサキ」として扱っていいのか分かり難くて大変でしたが、原付の歴史ということで考えれば、やはりここが起源でしょう。
とりあえず「カワサキ」の成り立ちを要約しながら、順に進めていきたいと思います。
詳しい人からすれば、違うよ〜、という事もあるでしょうが、少ないなりに一応それなりの資料を参考にしていますので、大きな間違いはないと思います。
まず、1878年(明治11年)に川崎造船所がスタートします。
1937年(昭和12年)に川崎航空機工業(株)が分離独立し、軍需産業として大きく成長します。
しかし、敗戦後の混乱で川崎航空機は川崎産業(株)となり、さらに(株)川崎都城製作所、(株)川崎岐阜製作所、川崎機械工業(株)の3つに分裂します。
その川崎機械工業の播州工場が、1953年1月に自転車補助エンジンKB−1型を生産開始します。
また、川崎機械工業の高槻工場では、1953年2月から4ストローク150?エンジンのKE−1、KE−2、KE−3が作られていました。
KE−1の設計はKB−1より早い1952年2月頃には出来上がっています。
ちなみに、カワサキワールドにはKE−1は1952年に製造販売となっていますが、どっちが本当でしょうね。
設計完了から生産開始までちょうど1年間ありますが、実はこの間に製造販売が出来ていたのでしょうか?
まぁ、とにかく、この2つのエンジンが「カワサキ」のオートバイ産業の原点でしょう。
そして、原付バイクの原点は、KB−1です。
その後KB−1は、同年3月に明石工場に生産を移して、同年8月にはKB−2型が生産開始します。
翌1954年2月には、川崎機械工業が再び川崎航空機工業(株)となり、同年3月にKB−3型が生産されます。
KB−1は、提携供給先の大日本機械工業にて自転車に搭載され、「電光号」として発売されますが、後に同社は業績不振でバイク産業から撤退しています。
川崎工業製エンジンは、他にも数社に供給されていたようですが、新たに発足した明発工業が、川崎機械製エンジンの総発売元となり、「メイハツKB−1」が誕生することになります。
エンジン単体と、専用の自転車に搭載されたものとが販売されていたようです。
50?を超えていますが、1955年の法改正までは原付として乗れました。
その後、「メイハツKB−2」「メイハツKB−3」と続いていきます。
メイハツKB−2は、ペダルスタートではなく、キックスターターを採用し、2段ミッション付きでした。
メイハツ製バイクは、造船・航空機などで有名だった川崎製のエンジンを搭載しているということで、人気があったそうです。
明発工業は、川崎機械の明石工場で作った発動機(エンジン)ということで、当時すでにあった「トーハツ(東京発動機)」に対抗して「メイハツ(明石発動機=明発)」と名付けられたそうです。
後に川崎明発工業(株)となり、さらにカワサキ自動車販売(株)、そしてカワサキオートバイ販売(株)となって、現在の(株)カワサキモータースジャパンになっています。
(メイハツKB−1)空冷2ストローク単気筒ピストンバルブ58.3cc、ボア×ストローク:42×42?、最大出力2ps/4,500rpm、最高速度45?/h
(メイハツKB−3)空冷2ストローク単気筒ピストンバルブ58.3cc、ボア×ストローク:42×42?、最大出力2.5ps/5,500rpm、最高速度45?/h
★実は昨日は久しぶりに、川崎重工業の明石工場を訪ねました。
川崎航空機が再開されて、本部があった『3研』という建物です。
懐かしかったので、写真撮ってきました。
単発エンジンをやってた50年以上も前の頃も営業部門は、この建物の中にありました。
『単車準備室』もこの建物の2階にあったのです。
戦前の川崎航空機時代からの建物ですから、天井も高く階段もこんなに、広いのです。
懐かしい、会議室です。前方に見えるのが単車の組み立て工場です。
これは、プレジデント室のある3階です。
『二輪文化を伝える会』 今後もいい資料をいっぱい集められると思います。
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