★ 3連休の3日目、2月11日は紀元節である。
子どものころは、節と名のつく祝日が幾つかあったが、紀元節をいちばんよく覚えているのは、小学校唱歌があったからだろう。。
伊沢修二作曲、高崎正風作詞により1888年(明治21年)に発表され、「小学唱歌」にも掲載された。
一、雲にそびゆる?ちほの?ねおろしに艸も木も
なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ
二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ
三、天つひつぎの?みくら千代よろづに動きなき
もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ
四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ
ニ番、三番 まで、覚えているわけではないが、1番は今でもよく覚えている。
こんな子どもの頃覚えた歌詞は、何才にになっても忘れぬものである
紀元節の歌 とは、こんな歌である。 調べたら何でもでてくる便利な世の中になったものである。
★ 昔のままに2月11日は 『建国記念日』としてそのまま残っているのだが、残すなら昔の名前のまま残せばいいものを、いろんな経緯もあってそうもならないのだろう。
明治節が、文化の日となったようにその意味合いも変わったのならともかく、同じ意味合いを持っているのなら、『紀元節』の方がいいような気もする。
二月十一日は建国記念日です。これは紀元節といい、初代神武天皇が大和の橿原(かしはら)の地で御即位したとされる日(紀元前660年2月11日)です。即位したのが酉年で、その年の元日を明治維新後に換算し、さらに太陽暦に直して二月十一日に定めました。
神武天皇は天下を治めるために東征を行い、河内に上陸します。
さらに、熊野に上陸し、吉野にたどり着き、さらに宇陀、大室と進み、大和で天下を治めることになりました。
さて、この紀元節ですが、戦後、GHQによって廃止されました。
昭和27年(1952年)に講和条約が発効すると「紀元節」を復活させようという国民運動がおこりましたが、共産主義者などの反対にあい、なんとか「建国記念の日」として復活しました。しかし、紀元節祭は復活せず、臨時御拝という形で昭和天皇から今上天皇へ引き継がれています。
国家の日というのはどの国にもあり、お祝いしたりして国家を意識するものですが、日本は希薄です。GHQの紀元節や明治節の廃止や日本国憲法、公職追放、神道指令などの様々な日本破壊政策が効いているということでしょう。そして学校では日本の紀元、神話など教えないでしょう。
もう「戦後」はいいでしょう。私たちは国家に多大な恩恵を受けています。国家の紀元を知り、今ある日本という国に感謝し、国民のために祈られる天皇陛下、国家を保ってきた先人へ感謝する素直な日本人としての気持ちを持ちたいものです。
ここに書かれている文章は、やや右寄りだとは思うが、素直にもう少し、個人の権利みたいなことばかりを言わずに、国家や社会を意識した生き方がいるのではないかと思ったりする。
個人的なことで言うと、戦前朝鮮(今の韓国)にいたから、国のお陰で散々な目にあい、物や金など全てのものを失ったが、紀元節で習った歌や、当時の国民学校で習った修身や道徳はちゃんと身についていて、今でも生きているような気がする。
先日空襲で家を焼かれたからと国に補償を求めていたグループがいたが、考えられない発想である。
★ この ニコニコ動画 を見ると全国あちこちで、建国記念日の催しや紀元節の祭典が有料で行われているようである。
このような会合が仮にあっても、そこに出席するようなことはまずないだろうが、建国記念日を紀元節に名称変更するというのなら、多分賛成するだろう。
なぜ? とその理由を聞かれたらよく解らないが、戦前あったものは結構いいものがあったような気がする。
仮に同じ趣旨であっても、建国記念日よりは紀元節の方がネーミングとしても響きがいい。
唱歌もそのまま復活すればいい。
君が代もそうだが、細かくその歌詞の意味など詮索せずに、国家として受け入れたらいいと思う。
昨今は、何でも理屈で割り切ろうとするのだが、アメリカなどと違って旧い歴史のある日本は、神武天皇のことを細かく詮索するなどせずに、神話として素直に受け入れる方がいい。
坊さんのお経みたいなもので、意味は解らなくとも、素直に受け入れている。
それと同じレベルでいいと思うのだが、なかなかそうはいかない時代だとは解っているのだが、敢えて書いておきたい、昭和の一桁生まれなのである。
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