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母の里、楠見家のこと

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★ ごく最近Facebook を新しくしてトモダチも新しくなって、  いま280人ほどになったのだが、「トモダチ申請」を頂くこともある。
 そんな中の一人に「石井楠見雅子」さんがいて、「トモダチ申請」を頂いたのである。 母の実家、楠見家の次男・楠見幸信の娘さんである。


 
 雅子・尚子さんのご姉妹で、私が現役の頃は渋谷の楠見宅によく泊めて貰ったりしていたのである。 お二人ともまだ大学生の頃で、カワサキのモーターショーを手伝って貰ったりしたので「さん」よりは「ちゃん」と呼ぶ方が似合っているのかも知れない。
   
★ 伯父・楠見幸信は一流の野球選手で慶応野球部時代はあの宮武・山下の全盛時代のセンターで不動の1番バッターだったし、昭和の初めアメリカ大リーグのベーブルースなどが来たときは、全日本のメンバーとして参加したのである。後、国鉄スワローズ(今のヤクルト)の初代総監督だったりしたのである。
「楠見幸信」と画像検索したら、国鉄時代のこんな写真が出てきた。

  


 楠見家は男3人女3人の6人兄弟で、母は長女だったが、 この3人の男兄弟の中で次男の幸信伯父だけが運動に堪能で、 岡山一中の時には甲子園にも出場しているのである。
 長男の一正伯父は学者で大阪市大の教授などだったし、 末弟の昭三叔父は、昭和3年生まれだから、私より5歳上だが、 ピアノなどは得意だったが、運動は確かそんなにおやりにならなかったと思う。
これは戦前の私が小学生の頃の岡山の西田町にあった楠見家の屋敷での写真だが、前列の私服が私で、その右となりが昭三叔父、その後ろが一正伯父、その左が祖父である。
    

★ こどものころは朝鮮にいたのだが、 夏冬の休みには明石に帰省していたので、その途中に岡山の楠見家にも必ず寄っていたのである。
 今現在は殆ど繋がりはなくて、 Facebookで「雅子・尚子」ちゃんと繋がっているだけなのだが、今回、雅子さんのトモダチになっている楠見家の方たちにトモダチ申請をしたら、楠見博さんに繋がったのである。
 勿論、面識もないのだが、 一正伯父には務・忠・久の三兄弟がおられたのだが、 多分、務さんのお子さんではないかなと思っている。

 その写真からは、何となく「楠見家の面影」が感じられるのである。
 

 Facebook では、石井楠見雅子さんからも楠見博さんからも「いいね」を頂いて嬉しく思っている。 叔父・楠見昭三さんにも、楠見務さんも、それに以前のFBではトモダチだった楠見清さんにもトモダチ申請しているが、まだ繋がっていないが、Facebook のお陰で、母の里・楠見家とも何となく繋がっているのである。 
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