★「ベタータイムス」の編集発行をされていた森田伊活さんが、 突然急逝されたという知らせを吉田純一さんから頂いたのは3月31日のことだった。
昨日はその「森田伊活さんを偲ぶ会」のご案内を頂いたのだが、 6月7日に東京で開催されるその会には出席することが出来ないので、 本当に長い間お付き合いを頂いた森田伊活さんを偲んで、 「森田伊活さんのこと」を纏めてみたいと思っている。
これが我が家に送られてきた「ベタータイムスの4月号」なのだが、 この号が通巻502号なのである。 初号から毎月1回発行され続けたのだと思うが、 逆算するとその初号は1980年(昭和55年)7月になるのである。
42年も前のことなのだが、その当時私はカワサキの国内担当責任者で、 私に森田伊活さんをご紹介頂いたのは、当時の全国カワサキ会会長であった小野寺和夫さんなのである。小野寺さんには私は格別のご厚情を頂いていたので、単に「森田伊活さんが新しく業界誌を発行されるので・・・」ということだったのだが、 即座に当時のカワサキの特約店1000店にこの業界雑誌『ベタータイムス』の定期購読をお願いしたのが、森田伊活さんと私の最初の出会いだったのである。
当時はカワサキの車で言えば、FX400時代のことでカワサキとしては非常に「いい時代」であったことは間違いないのである。 未だ、モペットが主体で二輪の販売網も自転車屋さんが数では主力の時代で、全国的に結構なレベルで二輪販売店が揃っていたのは、中大型を販売する特約店制度を敷いていたカワサキだけというような時期だったのである。そんなスタート時期からカワサキは密接なお付き合いが続いたこともあって、我が家には引退後も毎月「ベタータイムス」が送られてきたのである。
★ 今回の「森田伊活さんを偲ぶ会」の実行委員会は「全国オートバイ協同組合連合会」の大村直幸会長が当たっておられるのだが、森田伊活さんと「全国オートバイ協同組合連合会」との繋がりは初代会長の吉田純一さん時代から延々とかつ密接に繋がっていて、日本の二輪業界の地位向上に大きな役割を果たしてこられたのである。
その間の事情を二輪車新聞元取締役大阪支社長 衛藤誠さんがこのように記しておられるので、 その概要をご紹介してみたい。
時代は移り1980年(昭和55年)前後から、全国の二輪車販売業界では、業界有志たちによる“販売店の独自の組織化”の動きがみられるようになってきた。正式に法人化された業界組織化の第1号は、兵庫県二輪自動車協同組合(現・島津龍理事長)で、81年(昭和56年)4月に、2番目に設立されたのは、やはり近畿地区の大阪オートバイ事業協同組合(吉田純一理事長)で、84年(昭和59年)12月で、この大阪の設立が、その後の二輪車販売組織化を加速させる原動力となり、また“全国オートバイ協同組合連合会(AJ)”への結成へと進んだといっても過言ではなかろう。特に吉田理事長に加え、福井二朗専務理事の存在は大きい。
吉田純一氏が二輪車販売店の組織化を目指した最大の原動力は「日本の二輪車が、世界に雄飛している中で、日本電信電話公社の職業別に“オートバイ販売”の欄がなく、自転車欄に含まれている。さらに通産省の職業分類でも“オートバイ販売”の欄がない。これはひとえにオートバイ販売の社会的地位の低さである。我々販売業者が団結し、そのスケールパワーをもって、二輪車販売業の社会的地位向上を図らねばならない」という思いだったとこんな吉田純一元理事長の写真付きの記事になっている。
★ たまたまベタータイムスの創刊時期と時を同じくしたこともあって、 森田伊活さんと吉田純一さんが主宰した全国オートバイ協同組合連合会は密接に繋がり、 今では国も認める「二輪業界団体」となっているので、 それを横から支えた森田伊活さんの「ベタータイムス」も同時に業界での地位を盤石なものにしたのである。
島津龍さんも、吉田純一さんもカワサキのOBだし、 森田伊活さんをカワサキに紹介頂いたのも全国カワサキ会会長の小野寺和夫さんであったことから、 特に創成期のベタータイムスの森田伊活さんとは、 カワサキグループも、個人的に私自身も非常に密接に繋がっていたのである。
特に全国オートバイ協同組合連合会は、初代吉田理事長の時代から現在に至るまで、「森田伊活さんのベタータイムス」とはまさに2人3脚の歩みを続けてこられたと言っていい。
森田伊活さんと私が最後にお会いしたのも、 吉田純一さんの「旭日小授賞授賞祝賀会」の席上で、 業界のいろんな方ともお会いしたのだが、
森田伊活さんともホントに久しぶりにお会いできたのだが、 これが最後になってしまったのである。
本当に律儀な方で、 退職後は何のお役にも立っていなかったのだが、 我が家にはお中元とお歳暮を昨年まで送り続けてこられて、 毎回私は恐縮して、お礼のお手紙をお送りしていたのである。
私に限らず、二輪業界では森田伊活さんと関係がおありになった方は多いだろうから、 「森田伊活さんを偲ぶ会」は多くの方たちで盛大に行われることであろう。 折角のご招きなのに、出席することが出来なくて誠に恐縮なのだが、 このブログはFacebook にも転記されて、森田伊活さんと密接に繋がりがあり、且つ当日の「森田伊活さんを偲ぶ会」にも出席されるであろう方たちの目にも触れると思うのだが、 私は「森田伊活さんへの弔辞」のような気持ちで書いているのである。
「森田さん、本当にいろいろ在りましたね。 小野寺和夫さんにもしお会いなさったら、よろしくお伝え下さい。 有難うございました。 安らかにお眠りください。」
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