★カワサキバイクマガジンの今月号は『特別仕様車大全』と題して 懐かしい特別仕様車の数々が並んでいるのだが、 それらを代表して私にとっても懐かしい伊藤ハムレーシングカワサキのこんな特別仕様車が載っていた。
この年1993年の鈴鹿8時間耐久レースでは、カワサキ念願の初優勝を スコット・ラッセルとアーロン・スライトのコンビでもたらしたのだが、 そのマシンZXR-7は伊藤ハムレーシングカワサキのこんなカラーリングだったのである。
1993年と言えば、私自身は国内市場担当で、 1991年には念願の国内市場7万台の販売目標も達成し、 レース活動も非常に積極的に行っていた時期で この年の鈴鹿は4時間耐久も8時間耐久もカワサキが制し、 ラッセル・スライトで念願の優勝を果たしたし、 塚本・北川コンビが日本人ライダーのトップに位置したのである。
カワサキの中にモータースポーツ部なる職制が初めて出来て、 岩崎茂樹くんが初代部長を務めた年でもあり、 私は毎年岩崎と一緒に車を鈴鹿まで走らせていて、 この時期の7月末は鈴鹿サーキットで10日間ほど過ごしていたのである。
鈴鹿8耐は2018-2019 FIM世界耐久選手権の最終戦でもあり、 世界耐久選手権のランキングは「チームSRCカワサキ・フランス」が常にリーダーとなっていたのだが、 何故か、高速耐久と言われた鈴鹿8耐だけが優勝できなかったので、 本当に念願の初優勝だったのである。
★レースは直接の担当ではなかったが、 『伊藤ハム』とのスポンサー契約などは担当して、 思わぬ優勝でもあったので、その晩鈴鹿で伊藤ハムの方と祝杯など挙げている。
この年のことをカワサキバイクマガジンはこのように記事にしているが、 こんなZXR400を350台限定で販売したとあるが、 これは私がやったことなのだが、すっかり忘れてしまっていた。 こんな記事になっているから間違いなくやったのだと思う。
それは兎も角、 当時出来たばかりの博多イムズに、カワサキは展示スペースを持っていて、 そこに優勝記念車として伊藤ハムレーシングカワサキのマシンを展示したことはよく覚えている。
当時のイムズは最先端のビルでビル自体に話題性があり、 鈴鹿8耐の優勝マシンを飾るには格好の場所だったのである。
知らなかったが、そんなイムズも昨年32年間の幕を閉じた様である。
みんな遠い昔の想い出となっていくのである。 ただ、当時のカワサキはまさに時代の先端を走っていて かっこよかったなと我ながら想っている。
伊藤レーシングカワサキのマシンのカラーリング、 改めてみると『かっこよく』仕上がっていると思う。
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