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ソウルの想い出 と 韓国新大統領

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★私は兵庫県の明石で生まれたのだが、人生で一番旧い記憶は朝鮮太田の川の中で、近所のお兄ちゃんと魚を取っていたのである。
 祖父が創った太田電気という電力会社があったので太田にいたのだと思う。 小学校に入る前に、南鮮合同電力という会社になったので、 京城・今のソウルに移って、終戦の年・中学1年生まで、当時は日本だった朝鮮で育ったのである。
 そんなことで『私の故郷』は朝鮮だと言っていい。 結構ちゃんとした記憶があって関心も高く、よく韓国の地図などをネットで見たりはする。




 ★昨日は、韓国に新しい大統領が生まれたので、 改めて韓国のソウルの地図などネットで見たりしていた。
 赤い印のところ辺りが私が住んでいた京城府城東区新堂町桜が丘なのだが、 当時の京城の南は漢江までだったが、今はずっと南まで発展して大都会になっている。
 人口も日本の統治下時代には100万人前後だったが、  その後、高度経済成長の時代に急増し、ソウル五輪を開催した1988年には1000万人を超えるまでになったのである。




これが私が住んでいたあたりの現在の地図だが、右上が当時の桜が丘小学校(国民学校)で、すぐ近くに我が家があり、冬は有名な 奨忠壇公園まで、毎日スケートをしに行ってたので、そんな位置関係を見ていたのである。学校まではほんの200メートル、奨忠壇公園までも1kmほどなのである。




当時住んでいた新堂町桜が丘は新興住宅地と言ってもいい地域で、その周辺一帯はすべて山だったのだが、今はこんな住宅街に発展していて、このような新規開拓と高層ビル化でその人口は当時の10倍にもなっているのである。





★ これが私が通った桜が丘国民学校なのだが、 この写真は1988年のソウルオリンピックの時、 その開会式の当日ジェットスキーのデモンストレーションをたのまれて、 韓国に行く機会があったので、その機会にかっての我が家を見に行ったのだが、その時撮って来た写真なのである。 こんな鉄筋コンクリートの立派な校舎で、内地の木造の小学校に比べると桁違いに立派だったのを覚えている。  そういう意味では、当時の京城の市電は神戸の市電よりも、京城三越は神戸の三越よりも立派だったし、 当時の学校のトイレも我が家のトイレもすでに水洗式だたので、内地の便所が珍しかったのだが、 当時の京城の日本人の生活レベルは結構高かったと言っていい。
 

   
 


★ 戦前、いろいろとあったことも事実なのだろうが、 日本は韓国に対してある意味大きな貢献をしていて、 ソウルが今のような近代的な大都会になった基盤みたいなものは、当時の日本の大きな投資によるものだと思っている。 
 昨今、日韓関係は最悪で悲しい想いをしていたのだが、今回の大統領選挙で保守系野党の尹錫悦(ユンソクヨル)さんが勝利した。
 5年ぶりの保守政権で『未来志向の日韓関係に意欲』とあるので、 大いに期待したいと思っている。

 

  この5年間、日韓関係は最悪だったし、日米韓3か国の連帯も、もう一つだったように思うのだが、 新大統領は北朝鮮の核・ミサイル問題などへの対応で日米韓3か国での連携に意欲を示しているし、政権のスタンスが変わることへの期待したいものである。 具体的に日韓関係が改善されるかはよく解らないが、 私自身は子供時代を過ごした韓国とは『いい関係』であって欲しいと 常に思っているので新大統領に期待したいと思っている。

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