★ カワサキの最大の危機だった時期を乗り切って、 事業の安定期に入り、1988年10月からは 『国内市場7万台の目標』を背負って国内市場を専務として担当することとなったのである。
国内市場を担当する『カワサキオートバイ販売』の前身は 川崎航空機時代の『カワサキ自動車販売』で、 その時代のTOPは、川航の専務が担当していて明石の事業本部よりも上位に位置する会社だった。 そんな経緯から、世界の販社の中で国内販社だけが事業本部長が兼務するということになっていたのである。
私が国内市場を担当した88年以降の10年間は 髙橋鐵郎社長との3回目のコンビで『7万台の目標』に挑戦したのである。
1回目は1976年の東南アジア市場開発室のCKDの3年間 2回目は1982年からの企画室時代の単車事業再建の4年間 高橋鐵郎さんとのコンビは延べ17年間にも及び私の現役生活の約半分にもなるのである。
★ 『7万台への挑戦』これは本当にべらぼうに高い目標なのだが、 それがほぼ達成が見込まれた3年後の1991年4月に 事業本部の部課長300人を前に『新しいカワサキのイメージ戦略』と題して、スピーチをしている記録が残されている。
その中でこのように述べている。
88年10月に国内を担当して、真っ先にやったのは『イメージ調査』なのである。 88年のカワサキのイメージは左側で、 『デザインは個性的で、海外評価は高く、玄人受けはする』が 『レースに弱く、宣伝のセンスがなく、常にチャレンジしない』
何よりもその『イメージ総量』が小さくて、こんなイメージでは『7万台』などとても売れないのである。『新しいカワサキのイメージ創造』に挑戦したのである。
それが『テーマ 新しいカワサキの創造』で KAWASAKI GOOD TIMES CONCEPT を基本コンセプトに展開したのである。
特に力を入れたのがユーザー対策 KAZEで、 新しくソフト会社『ケイ・スポーツ・システム』を創って本格的に対応したのである。 当時はHART・YESSなど各社にもあったユーザークラブだが、 30年経って今も残って活動しているのはKAZEだけなのである。
なぜKAZEだけが残ったのか? そんな詳しい経緯は実はこの10月26日に カワサキバイクマガジンの取材があって、 その記事は12月号に掲載されるそうだから、敢えてここでは書かないが、 カワサキ独自の対策がいろいろとあったのである。 上記のイメージ図を見ても、 たった1年でカワサキのイメージが大きく転換したのをお解り頂けると思う。 私の『生き方の基本』はマーケッテングの基本でもある『差別化』なのである。 ★この時期、あのZEPHYRの発売があり、コレが7万台に貢献したのも事実である。
期待される機種の発売時期は、春のシーズン前の2月・3月なのだがZEPHYRの発売時期は、それが過ぎた5月だったし生産台数は非常に少なかったのである。 レーサーレプリカ最盛期に何の特徴もないこのような車が売れるとは 誰も思わなかったのである。
それが生産台数が余りにも少ないものだから、『バックオーダー』が発生したのである。 バックオーダーがあるということは『いい車の象徴』なのだが、この管理はなかなかムツカシイのである。 かってFX400も4か月ものバックオーダーがあり、 生産を上げて補給したら、それは一瞬に消えてしまったのである。
それは一人の客が何店もの店を訪問するため、実際の数より多く集計されるからだと、その時初めて解かったので ZEPHYRの場合はそれが消えないように慎重に出荷を調整したら 3年間もバックオーダーが継続したので、ある意味創られたヒット商品だったと言えるのかも知れない。
それにしてもよく売れ続いて、 『7万台の目標達成』に大いに貢献したのである。
★この時期特筆できるのは『ソフトの事業化』で 『ケイ・スポーツ・システム』というカワサキでも業界でも初めての 『ソフト会社』を創っての対応であった。
この会社は『遊び会社』なのだが『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と ほんとに真剣に遊びの提供をしたのである。
その具体的な例の一つが日本で初めての一般のユーザーが走れるサーキット『SPA直入』で、 当時は鈴鹿をはじめ日本のどこのサーキットもレーサー以外は走れなかったのである。
全国に豪華なKAWASAKI PLAZAを展開したし、 中でも東京新宿のPLAZAはその規模も立地も最高だったのである。
二輪販売は基本的に『セールス』などは不要の販売店網で売る『システム販売』なのである。 やっと最近ホンダさんが『ネット販売』を手掛けられたが、 このネットの時代になぜ『ネット販売』をやらないのかと思っていたのである。
30年前、私の最後の国内市場担当当時の機能図である。販売機能自体は上の3行でほんの僅かその主体はユーザーや仲間や社会と直接つなぐ、『ケイ・コンシューマー・サービス』や『ケイ・スポーツ・システム』で その中味はショールーム・サーキット運営・KAZE活動・イベント・レースなど 『二輪の遊び』主体の運営だったのである。
この時期のカワサキの私独特のバランスシートをご紹介しておこう。 経営の根幹は金であることは間違いないのだが、 それを『いい会社』として運営するのは『システム』であり それを『可能にする』のは『高質人材』・『人材育成』が基本だと思っている。
このバランスシートの『お金から下』の こんな『総合的なシステム運営』が7万台の販売実現に繋がったと思っているのだが・・
遊びは?『もっとまじめに販売を』やればもっと売れると思われたのだろうが・・
折しも『新カワサキモータース』の新会社のスタートである。 なかなか『遊び心』を持たれていて期待しているのである。
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