★今年の夏の大会は無観客で行われたため、何となく盛り上がりに欠けたちょっと寂しい大会になったが、昨日の準決勝は京都・滋賀・奈良・和歌山の関西勢の対決となり、今日の決勝戦は『智弁学園と智弁和歌山』の兄弟対決になった。
こんなに関西勢の活躍が目立ったのはホントに久しぶりだが、私が高校で野球の現役選手であった頃は特に高校スポーツは関西が中心だったような気がする。 夏の大会で湘南高が優勝したのは1949年のことで、『優勝旗が33年ぶりに箱根を越えた』などと言われたものである。
戦後再開された夏の大会が行われたのは甲子園球場ではなく西宮球場だったのだが、それは1946年(昭和21年)のことである。大阪浪商が平古場投手を擁して優勝したのだが、その時の決勝の相手が京都二中だったことも明確に覚えている。
私は旧制神戸一中の1年生の頃で、その時は未だソフトボールで遊んでいたが、そのカッコよさに惹かれて野球部に入部したのを覚えている。これは、入部したての頃の写真で、この頃は神戸高校も春の選抜に出るなど強かった時代なのである。
★この時代は野球に限らずサッカーもラグビーも関西が強かったし、その大会もみんな関西で全国大会が行われていたのである。 今は東京に行ってしまった『サッカーの全国大会』も大阪で行われていて、サッカーでは神戸一中は名門中の名門だったのである。
こんな記述があったりして、兵庫県は学生スポーツが盛んな県だった。『第1回大会から、大阪や兵庫からは複数の学校が参加し、第8回大会では、和歌山、奈良、滋賀、京都からは、各1チームに対して、大阪からは11チーム、兵庫からは7チームが参加した。当時は兵庫勢の力が抜けていたから、第1回〜第8回大会までの決勝のカードは、兵庫×大阪、兵庫×京都か、兵庫同士のいずれかになる。』などと言われていたのである。
★ 今年の夏の大会の準決勝戦から、こんな昔の話を思い出した。 私は学区制のために高校は明石高校に移ったのだが、 その頃は『名門明石』と言われていた伝統校で 1950(昭和25年)の夏は明石高校は甲子園出場を果たしている。 その年は京都の山城高校から後阪神に入り名ショートで鳴らした吉田義男さんも出場していたそんな時代である。
★そんな昔話は兎も角、私たちが現役時代の1950年ごろは、 和歌山は野球の強豪県ではあったが智弁和歌山など聞いたことがなかったので調べてみたら、
奈良に智弁学園が出来たのが1965年(昭和40年)で、 智弁和歌山が出来たのは1978年(昭和53年)とずっと後の話なので、 私が知らなかったのも当然のことなのだが、 今では誰もが知っている伝統ある強豪校である。 さて、今日は奈良・和歌山どちらの智弁が優勝するのだろう?
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