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中学・高校・大学 私の学生時代  その6

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★神戸商大に合格して一番先にやったことは『野球部への入部』だった。
当時の神戸商大は近畿6大学野球連盟に属していたが、私が在学中にはずっと1部に属していて、ひょっとして2部もあったのかも知れぬが、そんな入れ替え戦とは無縁のそこそこの成績は残していた、そんな野球部だったのである。 因みに現在の兵庫県立大学は残念ながら3部なのである。
この時代は、近畿大学(あの阪神の佐藤の出身校)がこのリーグにいて、ずっと近大が優勝していて、3回生の頃まではあの甲子園球場でリーグ戦が行われていたのである。
私は1回生の春からショートで出場していたので、当時は兵庫県の高校野球の予選も甲子園球場で行われていたし、『私が一番多く試合をした球場』は『甲子園球場』というウソみたいなホントの話なのである。まだ球場の外壁が蔦(つた)で覆われていた頃の懐かしい甲子園球場だった。

     


★ 高校時代は明石高校の野球部だったが、同期の連中でも旧制中学の1年からいる連中が何となく主流で、私や溝畑など学区制で途中から加わったメンバーがチームの中心というわけでもなかったのである。
そういう意味では神戸商大での野球部では、1回生の春からチームの中心にいたし、『名門明石』出身ということで一目置いて頂いていた存在だったのである。2回生の時は1回生に有望選手も入部し、チーム力も上がって、この2回生の秋までが、私の大学での野球選手としての一番盛りだったのかも知れない。
その2回生の秋のリーグが終わって、『肺浸潤』の診断が出て、流石に3回生の春のリーグ戦は休んだのだが、その時のリーグ戦の成績が最低だったこともあって、秋からはベンチも担当する『プレイイング・マネージャー』として復活したのである。責任上『野球のルールブック』を精読したのもこの時期で、正直そんなことをしたのは初めてのことだった。
4回生の時には当然のように主将となり、ベンチも預かる『プレイイング・マネージャー』を続けたのだが、まだ肺浸潤も完治していない状態だったので、むしろベンチワークの方に重点が行っていたかもしれない。 
★ 野球部時代の写真もあまりないのだが、 これは1回生の夏、兵庫県高砂の鐘化のグランドでの夏合宿の時である。 当時の鐘化の野球部監督が久留島さんで、 久留島さんは明石でも神戸商大でも先輩にあたる関係だったのだが、 そんなことで鐘化のグランドでの夏合宿だったのである。
 二人で写ってるのは商大の選手ではなくて、 明石高校時代の私と三遊間を組んだ辰巳くんなのだが、 なぜ彼が商大の合宿に参加してるのか? 多分、手伝いに来てくれたのだと思う。 因みに、久留島さんは戦後の全日本にも選ばれていた名選手なのである。 

     
  ★ 2回生の秋に『肺浸潤』になって、自分の命も長くないと思ったこともあって、日記を書きだしているのだが、 今回『自分史』を書いてみて、ホントに日記に援けられているのである。 人の記憶がこんなに頼りないものだとはホントに思わなかった。
 3回生時代の私が復活した秋のリーグのこんな記録が、 日記帳にあったのだが全然覚えていないのである。『全員安打』で大工大に延長で勝っているし、 2位を掛けての工大戦だったので、 この試合はショート2番で先発しているのである。  そして延長10回に私の2塁打で2点を取って勝っているのだが、 そんな勝利なのに、全く覚えていないのである。


  
   日記にはこのように書いている。
『10回表、2死1・2塁でバッターボックスに、 ワンストライクの後2球目に好きなインコースに直球が来た、 左翼フェンスにショートバンドで当たる2塁打で、 2点を取ってこれが決勝点・・』とある。
 
★5回生では『野球部の監督』を引き受けているのだが、 4月4日からは新チームの春の合宿が奈良橿原球場で始まる予定で、この合宿には手伝いにはいこうとは思っていたのだが、その前日の4月3日に野球部長の田中教授に呼ばれて正式に監督を依頼をされて、この合宿には『チーム監督』としての参加となったのである。これなども今回日記を読み返してみて『そうだったんだ』と思ったのである。

★この年は春のリーグは3位、秋は2位とそれなりの成績を残しているのだが、秋のリーグ戦のことである。
1回生の小山修身投手が凄い記録を作っている。これは意識的に『造った記録』でもある。

11月2日 市大戦  7-1 小山完投勝利、ここからスタートしている。
1週間空いて後半戦11月7日 市大戦  2-0 と快勝、小山完投。
11月8日 工大戦  1-0 で勝利、小山の連投。
11月9日 工大戦。 0-0 9回引き分け、小山の3連投である。

ここまでは、惰性できた。3連投も凄いし29イニング連続無失点である。
7-1と1点を取られた1点もエラーからだから、36イニング連続無自責点である。
ひょっとしたら『新記録ではないか』と思って、ここからは記録を意識した。本人もチームメイトも知らなかったと思うが、私は解っていた。
翌日の経大戦も『行けるところまで』と記録を意識して小山でスタートした。
11月10日 経大戦 4-0 小山完投完封。少々無茶な起用だが、チームとしての無失点記録も伸ばしたくてやった、4日連続の4連投なのである。
そして翌週、ここまできたら小山しかない。
11月14日 経大戦  4-0とまたも完封勝利。5試合無失点である。
11月15日 薬大戦  13-3勝利、だがここで記録は途切れた。

小山修身君の記録は『53イニングス連続無失点・64イニング連続無自責点』で、勿論当時は『学生野球の新記録』であった。

小山自身が知らなかったから、出来たのかも知れない。私自身は30イニングあたりから気付いていて、チームとしての無失点記録ともしたかったので、『4日連投』という無茶な起用にもなったのである。
  ★こんな大記録も創ったこの秋のリーグ戦も、近大とはいい試合をしているのだが勝てなくて、2位に終わっているのだが、監督としては『まずは及第』の1年だったかなと思っている。
こんなことで私の大学5年間の野球部生活は終わりとなるのだが、野球は一生懸命やったのだがお世話になっていた運動具店には10万円ほどの借金が残っていたのである。当時の大学出の初任給が1万円ぐらいの時代だから結構な額の借金なのである。これを幾らかでも『減らす』べく考えるのだが、この件については次回に。

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