★川崎航空機に入社した当時は、会社の仕事も、結構一生懸命やっているのだが、『当時の日記』を読み返してみたら、一番多く触れているのは『家内のこと』でそのページ数からすると『会社の仕事』のことなどを圧倒しているのである。
そういう意味では間違いなく『一番の関心事』であったのだろう。
川崎航空機に入社して2週間ほどの研修期間があって4月15日に業務部財産課への配属が決まったのだが、4月19日の日記に『隣の勤労課にいる女の子にちょっと惹かれる』と書いているので、財産課への配属は、私の人生を左右した出来事だったかも知れないのである。
6月5日には高校・大学の球友だった小野田尚弘からの電話がなぜか勤労に掛って、『小野田さんという方からの電話です』とわざわざ私の席まで呼びに来てくれたことを、日記には書いているし、当時は朝は明石から西明石まで電車で通勤していたのだが、その朝の電車で一緒になることが多くて、神戸方面からやってくるので、『どこから来てるのだろう?』と思ったりしているのである。
というのも当時の会社の女子社員はその殆どが明石市内や西の方からの人たちが殆どで、神戸の方からの人は非常に珍しかったのである。
何となく『神戸高校タイプだな』と思ってはいたのだが、11月になって入社6か月目で初めて口をきいて聞いてみたら、『神戸高校だ』というのである。
私は旧制中学で神戸一中に通っていたのだが、その後、男女共学になり神戸高校になったのだが、学区制が出来て、明石高校に転校になったのである。
神戸1中時代は人生で一番よく勉強したし、 それなりの成績でもあったので、 私は神戸1中時代の成績が一生『自分の自信』になっているので、 神戸高校にもそれなりの思い入れみたいなものがあったのである。
入社1年目は、ただそれだけでそれなりの関心はあったのだろうが、特にそれ以上のことにはならなかったのである。
★ 翌年になってからも、毎朝電車で会うようになり、 5月28日に三宮で映画に誘ったのがスタートなのだが、 その日は映画を見ただけで終わっている。 翌週の6月7日には、当時はまだあった三宮の『新世紀』というダンスホールに誘っている。 そして6月14日にはお返しにとネクタイを貰って、その日も新世紀に行っている。 こんなことで3週連続でデートなどしたのだが、 その頃には会社でバレてしまって『噂になったり』しているのである。
それ以降、新入社員時代の4年間は、 日記の中では『家内が中心』でそれなりに熱烈だったのは間違いないのである。
家内の所属が勤労課で、勤労課長の森さんは家内の上司でもあり、 明石高校の先輩でもあったので親しくして頂いたのだが、『いつ、結婚するんだ?』などと冷やかされたりしていたのである。
★ 新入社員時代の財産課での4年間は、 3年目の昭和34年(1959)9月にIBMによる事務機械化に取り掛かり猛烈に忙しかったのだが、 4年目はこの『プロジェクト』に集中して、9月にはそのIBMカードも完成しているのである。
4年目の日記を読み返してみても、 そこに記述されているのは『家内のこと』か『IBMの機械化』のことばかりなのである。
そんな1年だったのに 10月になって診療所から『菌が出たので入院』という宣告を受け、 11月からは、三田の療養所に入院することになってしまうのである。
★ 三田の療養所には翌年の12月までの入院だったので、 新入社員の財産課時代は約5年なのだが、その5年目は殆ど『三田療養所での療養生活』だったのである。
今はもうないのかも知れぬが、 川崎重工業の健康保険組合の『三田大原療養所』はこんな立地で、
住宅団地はなかったと思うし、その辺りもみんな自然の山だったと思う。
安静時間もあったが、自由時間も結構あって、 池で野釣りもよくしたし、周辺の松林は秋には『松茸』がいっぱいで、 幾らでも採れたのである。 今なら『松茸ドロボー』で大変だが、当時はそんな空気はなくて、 散歩のついでにみんないっぱい採ってきていた。 一般の方が一生に食べる量よりは、はるかに多い『松茸』を食したのである。
入院されている方とも、看護婦さんともすぐに仲良くなれたし、 本当に『楽しい』と言っては不謹慎かも知れぬが、 そんな楽しい療養生活だったのである。 家内はしょっちゅう見舞いに来てくれたし、 手紙も届いて、若し入院などなければ家内から手紙をもらうことなどなかったと思う。
★ 自分の一生を振り返ってみると、 『環境への適合性』は抜群で、どんな環境でもそれに『直ぐ順応できる』ところがある。 退院する時点では新しくできた『単車営業課』への転籍が決まっていて、 その後の人生も『誰もがやったことのない新しい仕事』ばかりだったが、 どんな環境にも直ぐ適応できたのである。 これはやはり、中学1年生の時に経験した、 戦後の環境の変化が大きすぎて、 それに比べたらどれも、そんなに『大したことではなかった』のだろうと思っている。
それくらい戦前・戦後の変化は劇的だったのである。
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