★ 川崎航空機の新入社員時代のこと『その1』では、 『償却計算のIBM化』などちょっとカッコいいこと書きすぎたかも知れない。
昭和32年(1957)時代の川崎航空機はまだまだ大変な会社だった。 戦時中の爆撃でやられたままの建物がそのまま残っていたりもして、 建物の2階に張ってあったベニヤ板の上を歩いてた新入社員が ベニヤ板が破れて落下し亡くなってしまったりしたのである。
そんな建物も残っていたし、爆撃の後の鉄骨なども売っていたりして、 後事務所になった『4研』には、戦前の機械が入りきれないくらいいっぱい残っていて、 半ばそれの『売り食い』みたいなところもあったのである。
会社なのに、再スタートしたばかりで 基礎資料と思われるものも揃っていなかったし、 前回も書いたが、工場の敷地がどこまであるのかも分からなくて、 土地を見に歩いたら『工場内だ』と思われるところが畑になっていて、 その畑を立ち退いてもらうのに『立ち退き料』みたいな金が要ったりしたのである。
★私の初任給は12000円だった。 それも月2回払いなのである。
資金繰りなど苦しかったのだろう。 財産課での機械の処分代なども間違いなく収益に繋がっていたのだと思う。 何しろ戦前の機械だから帳簿上の簿価はタダみたいな価格だったのである。
私が担当した工具器具備品も、ジェットだけは新工場ということで一件300円以上が財産物件になっているので机は財産物件なのだが、 その他の部門の机は、同じ机でも経費で買っているので備品ではあるのだが、『財産物件ではない』のである。
その数は購入時の数として残っているだけで、 台帳はないし、現物確認など一切出来ていなかったのである。
まず固定資産台帳をつくることから始めたのだが、 机なども数だけが解っていても、現物照合など全くなされてはおらず、 仕方がないので課ごとに現場に出向いて、当てはめたりしたのである。
ところが会社に職制変更というようなものがあるとは知らなくて、 折角当てはめた机も、職制変更や異動で、人と一緒に動いてしまうので、 またゼロからやり直しなのである。
★ 仕方がないので小さな赤と緑の番号プレートを作り、 財産物件と経費での購入備品と区別し、財産物件には財産番号を刻印して机に打ち付けていく作業に取り掛かったのである。 プレートの貼ってあるものは『数えたもの』と識別できるようにして、 財産物件には1物1件ごとの台帳を作っていったのである。
こんな現場作業にほぼ1年を要して、『古谷はいつみても釘と金槌を持って社内を歩いている』 と言われたりしていたのである。
文字で書くのは簡単だが、現場の実地作業が伴うので、ホントに大変だったのである。工具器具備品の台帳を作るのに1年以上かかったのである。 信じられぬかも知れぬが、ホントにそんなことをしていたのである。
★ 椅子は木製の回転椅子だったが、 それがよく壊れて毎週トラックにいっぱいの「椅子の修理」が発生し、 これが毎週のことなので大変だったのである。
これも1年間毎週の仕事として続けていたのだが、 ちょうどその頃、『ネコスの椅子』が世の中に現れて、 これに変えようとしたのだが、 企画室は予算がどうだこうだなどと言って、 なかなか『うん』と言ってくれないのである。
そんなとき、たまたま砂野社長にほかの用事で呼ばれたのである。
砂野さんは戦前から伯父と親しくて、私も中学生の頃からよく知ってたし、神戸一中に私が入学したのも砂野さんの薦めだったのである。私は川崎航空機に砂野仁さんのコネで入社しているのだが、新入社員時代、一番気安く『モノが言えた』のは上の方では砂野さんだったかも知れないのである。
砂野さんは『健康』に非常に関心をお持ちなのはよく解っていたので、『ネコスの椅子』は背もたれも動くし『健康にいい』と思うと言ったら、『それはいい』と賛成して頂いて、『ネコスの椅子への変更』が何となく決まっていったのである。
そんなことは周囲の方はご存じないのだが、 これは財産課の後輩だった小池博信くんがご自身の自分史の中で、 『ネコスの椅子』についてこのように書かれていて、 『進取の気象』として取り上げて頂いているのである。
確かに『進取の気象』めいたところもあったが、 簡単には『反対』を押し切ることなどムツカシイのである。『ネコスの椅子』への転換は、こんな『からめ手戦術』が功を奏したと言っていいのである。
ただ、この『ネコスの椅子』は非常に評判が良くて、 どこの課も欲しがるのでその配分順序が大変で、基本的には職制順にしたのだが、 新入社員や出向先から戻ってきた人は優先したりしたのである。 たまたまだが、当時『日本ジェット』に出向されていて、 後レースでご一緒する大槻幸雄・井手哲也さんが戻ってこられて、 新しい机と椅子を私が都合したのだが、ご本人は覚えておられるだろうか?
★ 世の中の『新入社員』はどのような仕事から入るのだろう?
私の場合は、担当さされた業務の基礎的なものが全く出来ていないような状態だったから、 結構『自由に、自分の思うように』動けたのである。 勿論、係長も課長もおられたのだが、 新しく再出発した会社だったから、細部については殆ど解っておられなかったのだと思う。
新人社員で配属されて直ぐ『担当分け』はあったのだが、 担当した『工具器具備品と車輌運搬具』関連は即私がTOPで、 下に女子が二人いたし、 特にその細部の指示などは全くなかったような気がするのである。
いま、改めて思うと不思議だが、結構な新入社員だったのである。
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