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戦時中の 小学生の頃の記憶

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★ 人間の記憶は、何かつまらぬことは、何年経っても忘れないのだろうか?
 そんな記憶の話なのだが、
 大東亜戦争時代、私は小学生だった。 小学校とは言わずに『国民学校』と言われていたが 当時は『間違いなく日本だった』朝鮮京城の今のソウルにいて、 京城府城東区新堂町桜ケ丘に家があり、桜ケ丘国民学校に通っていた。  番地までは流石に忘れてしまったが、 当時の本籍兵庫県明石市細工町20は番地までよく覚えている。

 戦前のソウルはなかなか立派な街に創られていて 市電も当時内地と呼ばれていた内地の市電よりは立派だったし、 三越も当時の神戸元町の三越よりは立派だったのを覚えている。
 これは戦後ソウルオリンピックの時にソウルに行く機会があって、
 母校京城桜ケ丘国民学校の写真を撮ってきたのだが、 戦前の建物とは思えない、なかなか立派な建物だった。 教室は冬対策で『スチーム』が通っていたのである。


    


 京城は日本人が創り上げたいわば新興都市だったから、 住んでいた住宅なども、内地の家などに比べるとモダンで広かった。 住んでいた桜ケ丘は、殆どの家が300坪以上はあった新興住宅街だった。


★ 終戦の年が中学1年生だったから、それまでの小学生時代は 『まさに戦時中』だったのである。
 『学徒動員』などもあって、中学の上級生は兵役に動員された時代だから、 小学生時代も、高学年になると何となく大人と同じように扱われて、 小学5・6年では兵隊さんが来て教練があったりした。
 毎月8日は『大詔奉戴日』でこんなムツカシイ詔書を全校生徒の前で、 校長先生が読まれて、それを直立不動の姿勢で聞いていた。
 

冒頭の部分の
『天佑を保全し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇はは、忠実勇武なる汝有衆(ゆうしゅう)に示す。』 の部分は今でもよく覚えている。
人間の記憶は、小学校時代に覚えた軍歌の歌詞なども、80年経った今もよく覚えているから不思議である。
 この愛馬新軍歌など今でも3番ぐらいまでは覚えていて、 自然に歌詞が出てくるから、ホントに自分でも不思議なのである。

   



こんな歌もあったのだが、
  

『青いバナナも黄色く熟れた男所帯は気ままなものよ』 と歌っていたら、父に『こどもはそんな歌を歌うな』と怒られたりして、 その時は何故そんなことを言うのかと思ったのだが
今思うとどうやら『青いバナナ』も『男・所帯』を『男・女体』とカン違いしたのではないかと思ったりする。そんなツマラヌことをよく覚えている。

★ 終戦の年昭和20年は、中学生になった年なのだが、
 その夏休みに『軍人勅諭』を覚えてくる『宿題』が出ていて、 ぼちぼち覚えなければと思っていた時に『終戦』になったので、 これは全然覚えてはいないのだが、
 こんなにムツカシク長い勅諭なのである。
  


 もうひと月、終戦が後になっていたら、 この『軍人勅諭』も暗記して覚えているかも知れない。
『覚えられませんでした』などの言い訳は通用しない世の中だったのである。
  長い人生を振り返ってみて『いろんな記憶』があるのだが、 それらはみんな中学生時代までで。 高校以上では新しいことは『殆ど何も覚えていない』のである。 野球ばかりやっていた。
 そんな戦後の中学生時代に覚えていることを 次回、続けて纏めてみたい。


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