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国道1号線の想い出 など 昔の話

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★現役時代約40年だったのだが、ちょうど半分の20年間を 3度、国内市場の担当で出向したこともあって、日本の主な道路は 殆ど何度も自分で車を運転して走った経験がある。
 免許を取ったのは1965年(昭和40年)で33歳の時なのだが、 当時は車の免許を持っている人は少なくて、ましてや自家用車を持ってる人など、 本当に珍しい時代だったのである。
 ちょうどその頃は、ファクトリーチームを担当していて、 全国のモトクロス場や鈴鹿サーキット、富士スピードウエイなど 全国各地にクルマを運転して出かけていたのである。
 そんな中でも1966年には青森の津軽の岩木山であった MCFAJの全日本モトクロスには、 明石から津軽まで往復3000キロを車で移動したりしたのである。 朝7時に明石をでて御殿場泊、翌日は仙台に泊っての走行だった。
 今のような高速道路のない時代だから、国道1号線だと言っても大変なのである。

★国道1号線は富士丸の山や、伊豆のモトクロス、 富士スピードウエイのロードレースなど、 ホントに走りなれた道だったのである。

  

   
   
 

★ こんな国道1号線と国道4号線を走っての津軽行きだったのだが、  1967年(昭和42年)度からは、私自身が東北6県の代理店営業担当として、  仙台に新しい仙台事務所を作ることを命じられるのである。
  昨今の異動と違って、何もないところに新しい事務所を創れという指示で、  それ以外は具体的に何もなくて、  私は異動の餞別みたいな感じで、『コロナのトラック』を頂いての異動だった。
  こんなに綺麗ではなかったと思うが、こんな車だった。
   

  ホントに何もないのである。  従業員の仲間もいないし、事務所もなくて、  宮城県代理店『宮城カワサキ』の事務所に机をひとつ置かせて貰っての  スタートだったのだが、
  この『コロナのトラック』に適当な荷物を積んで、  明石から1号線を走り、東京で一泊して仙台まで  約1000キロを独りで運転して走ったのである。
  その時の明石から東京までのスケジュールと実際が  日記に記録されている。  東京まで635キロ、  一宮までの名神以外は一般道路なので、14時間も掛っている。

      





★ 東北6県は岩手県を筆頭に日本の有数な大県ばかりなのである。
  この13号線も仙台を起点によく走ったが、  隣の仙台ー盛岡も、盛岡―青森も200kmなのである。
  この地図にある時間も、今は多分高速道路を使ってのモノだと思うが、  当時は高速道路などないうえに、奥羽山脈を越える山越えの道は  未舗装の砂利道だった。 
 

 ★ そんな昔のことをいろいろ懐かしく思い出しているのだが、 この東北6県を担当してた当時は、長距離走行には慣れてしまって 少々、長い距離でもなんともなかったものだから。 明石への出張などもちょうど1000キロを朝早く出たら、夕方には明石に着く というような強行軍も何度もやったし、 仙台から大阪に異動した年には、仙台で全日本モトクロスがあったのだが、 大阪から所員と一緒に仙台までレースを観に行ったりしたのである。
 そんな車での走行話は、いろいろあるので、 また、幾つか改めてご紹介してみたい。

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