★ 『東京大学出身』というと何となく一目置くのだが、 私の人生振り返ってみて、 何故か世の中の『どの大学出の方たち』よりも 『東大出』の方たちとのご縁が圧倒的に多いのである。
川崎航空機の入社試験の面接で、 人事課長をされていた塚本碩春さんも東大出なのだが、 その第一声は『君は成績悪いね』だったのである。 それが私が社会に出て聞いたはじめての言葉だったのだが、 全然悪びれることもなく、 『会社の仕事ぐらいなら他人に負けずにちゃんとやれます。』と答えたのである。
その後入社15年目には、私は当時企画室課長だったのだが、 塚本碩春本部長、青野格副本部長、堀川運平企画室長 すべてが東大出で、 私の下にいた武本一郎係長まで東大出身で 『東大出身』の方たちに囲まれて仕事をしていたのである。
塚本本部長にはその2年後、 どうにもならずに行き詰まっていた『国内販社対策』を創るように指示されて、 その計画の通りに、国内販社改革は進んだのである。
面接の時に塚本さんに応えた通りのことが出来てよかったと思ったし、 塚本さんは多分忘れておられたかと思うが 私は現役時代『最初に言った言葉』はひとときも忘れたことはないのである。 その計画を本社に説明に上がった時の財務本部長が堀川運平さんで、 『古谷くんが2ヶ月も掛って創った計画ならそれに乗りましょう』と言って頂いて、 殆ど説明も聞かずに承認頂いたので、それなりの信用はあったのだろう。
★私が最初にペアで仕事をした東大出の方と言えば、神戸一中の先輩でその後川重の副社長もされた山田熙明さんだが、レース関係でのデグナーの契約だったのである。そんな外人との契約書の作り方など社内では解かる人はいなかったので、『ホンダの前川さん』のところまで教えて貰いに鈴鹿まで出かけたのである。その原文は私が創って、それを英訳されたのは、山田熙明さんなのである。
そんな山田さんとはその後もいろいろあって専務をされていた頃、アメリカのKMCの経営危機という大問題が起こって山田さんは全社挙げての『対策本部長』をされるのだが、当時販社の経営を実際にやった経験者が少なくて、私に相談があったのだが、『すぐ解決します』と言ったものだから、当時はカワ販に出向中だったのだが、企画に呼び戻されたのである。
その時の企画当時、私の下にいたのが武本一郎さんで、彼は本当によくやってくれたのである。さらに言えば当時の本社財務サイドは堀川運平・松本新さん体制で、このお二人も東大出なのだが、本当に後押しをして頂いたのである。
なかなか本社を通すのは普通では難しかったのだが、川重全体の問題になっていたこともあって、常に『フォロー体制』だったのである。
★なぜ、そんな方々に『信用があったのかな』と思うのだが私は世の中の職位とか学歴などには『全く物怖じしない』性格で、どんな方にでも、『同じようにしか話せない』のが返っていいのかも知れない。
それにしても『東大出』の方とはご縁があるのである。
こんなブログを書きだしたのも、Facebook で、山田浩平くんからこんなコメントを頂いたのである。
お元気でお過ごしとうかがい安堵しております。カナダ時代に末端顧客について「先端的な顧客研究(マーケティングリサーチ)」を行い、そこから出た事実に基づく「顧客戦略(セグメンテーション)」を立てることをやろうとしました。値付け、販売チャンネル、広告宣伝をその「顧客戦略」の上に組み立てようとしたわけですが、時間切れでした。今となっては懐かしい昔話です。今の時代はAIもあり、昔ではとうていできなかったような量的リサーチが色々と可能になっていて、さぞかし面白いだろうなあと思います。カナダのチャンスを与えてくださり、ありがとうございます。御礼申し上げます。
如何にも技術屋さんらしいコメントだなと思った。このNinjaのエンジン設計を担当したのは、若き日の山田浩平くんである。
私が彼と出会ったのは、Ninja 900が世に出た1982年からずっと後の90年代、カワサキでX-11というサーキット走行マシンの開発をやっていたころ、この時の担当が山田浩平くんで、その時初めて彼と出会ったのである。 こんなかっこいいマシンなのである。KAZEというマークがあるように、この開発については 国内販社カワ販がサーキット走行など大いに面倒を見たのである。
最近出たマシン Ninja H2 は山田浩平くんの最後の作だと言っていい。
彼はその後カナダ・アメリカKMCなどの販社を経て、品証から技術本部長に戻った時、私にくれた手紙に書いてあったマシンは多分間違いなく Ninja H2のことだったのだと思う。
約束通り彼はこのマシンを仕上げ、世に出してカワサキを去ったのである。
山田浩平くんは、変わっていると言えば変わっている。 『優秀な技術屋さん』なのに なぜか『マーケッテング』に興味があって、海外の販社をやりたいというので、 その時、カナダでもと、紹介したことがあったかなと思う。 そんなことで、こんなコメントを頂いているのだが、 カナダのチャンスを与えてくださり、ありがとうございます。御礼申し上げます。
彼もまさしく、『東京大学』 出身なのである。
★ そんなことで現役時代は東京大学出身者と数多くの関連もあったのだが、 定年後ネットの世界でも、何となく『東大出』の方たちと繋がっているのである。
一番密接だったのは『樋渡啓祐』さんだと思うし、 最近もFacebook でお会いすることも多いのである。
鉄道マニアの藤原廣三さんも東大だし
極々最近、こんなコメントで繋がった『野本浩一』さんも 東大ご出身なのである。
野本 浩一 ぶれないで現在に至る・・・これは、参考になります。 多くの人にとっての有難い人生の指針になったのだと思います。 読んでいて、楽しく振り返る人がおおいのではないでしょうか。 何故、こんな風に感じるのか・・・・それは、これから暫く続けさせて頂くであろう、メール交換のお楽しみにさせてください。 本当に今日の文章は 素晴しいものだと思います。
とお褒めの言葉を頂いたりするのである。
★日本の最高学府であると言ってもいい東京大学出身の方に、 『認めて頂ける』のは、正直嬉しいのだが、
私の心の底には、東大や京大などと言うが 『中学時代私より下の成績の人がいっぱい行っている。』 という負け惜しみの想いがあるのは間違いないのだが、 私自身は、アタマがいい悪いは兎も角、 どこの国立大学でも『通る』のはムツカシイのは事実なのである。
数学は『対数』以降は、現実離れしていて勉強する気にはなれなかったし、 理科や技術の話は、全く受付けないのである。
国立大学はどの大学でも数学と理科の試験科目があるので、 『入学するのは無理』だと思っている。
然し、同時に東京大学出身の方たちと対等にお付き合いが出来たのは 『よかったな』と思っているのである。
私自身も結構『変わっている』のだが、 その私とお付き合いをされる『東大出』の方たちも 『変わっている』のかも知れない。
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