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7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略の時代 15

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★ 『ARK』という名前を覚えておられるだろうか? カワサキの正規販売店を
    『ARK=Authorized and Reliable shop of Kawasaki』 と呼んで新しい販売ネットワークを創ったのは、1989年10月のことである。
 88年10月に国内販売を担当して『7万台を目指した』のだが ちょうど1年掛かって、新構想で創り上げたのである。 
     


 懐かしいその看板なのだが、 この6月で店舗を閉める三木のGood Times Plaza の 登山道夫さんがお持ちなので写真を撮ってきたのである。
 もっと古い時代の『GREEN SHOP』の看板もあった。
  


★ カワサキの販売網に関しては、昭和48年(1973)の特約店制度に始まって、 色濃く私自身も関係してきたのだが、 常に日本の二輪業界の一歩先を歩いていて、 ずっと『日本初』が続いていたのは、 他メーカーは50ccのモペットが主体の時代が長く続いて、 中大型車が主力なのはカワサキ1社だけだったからである。
 昭和30年代から、ホンダがトップを走ったのだが、 二輪業界の取引は全国に何万店もある『自転車屋さん』を主体にした 『委託制度』の取引形態がずっと続いていて、 カワサキも『中大型車主体』の『二輪車専門店制度』にはしたのだが、
 この『委託制度』だけは80年代までずっと続いていたのである。


★ そんな二輪業界の『取引形態改革』にチャレンジしたのが、  1989年度からで、それは『ARK制度』と共にスタートしたのである。
  当時の記録を見ると以下のようになっていて、  新しく担当した国内販売の1年目に実施に移す決心をしているのである。


 



★ 20年以上も続いていた『二輪業界独特の委託制度からの脱却』は、 世の中の注目も浴びて、 日経ロジステックスが、 3ページにも亘った特集記事で紹介してくれているので、  3ページ全部をご紹介することにしたい。
   このシリーズは 『私の生き方、考え方&意見』 ということで纏めているのだが、 この日経の記事の中には、そんな『私のやり方』が集約されている。
 じっくり読んでみてください。 今も現役にいる若手の名前なども登場するのである。

     

  

★この記事の中にもいろんな若手が登場するのだが、 当時は、入社早々の若手が結構頑張っていたのである。
 ZEPHYRというヒット商品名を付けたのも新人諸君だったし、 この 『ARK』 というネーミングも若手の諸君のが名付け親なのである。
 そんな解ったようなムツカシイ名前が『通るか?』と正直私も思ったのだが、 それは『杞憂』に終わったのである。 『ARK』 という名前を二輪業界で通用させてくれたのは、 カワサキのメンバーではなくて、『他社のセールス』の話題になり、 二輪業界の中にスムースに浸透していったのである。

★この時代いろんなことを次々にやってはいるのだが、 これは、当時の特約店も面食らったと思ったが、 1年目に80%近い店が契約してくれて一挙に流れとなったのである。
 常に『すべてを実施しない』納得したところで進めて行くのは『私流のやり方』で、 『全国一律実施』などはしたことがないのだが、 周りの状況は『常に読んでいる』ので、そんなに長くは掛からないのである。

 この記事の出る92年8月には、先進3社も、追随してくれて、 『受注制度』は委託に代わる新しい制度として定着したのである。
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