★ 昨日は嬉しいニュースが流れた。
カワサキZ1の開発責任者で知られる大槻幸雄さんが 『日本自動車殿堂入り』されたという、嬉しいニュースである。
その殿堂入りされた功績の理由はこのように記されている。
大槻幸雄氏は、大型二輪車の開発にて優れた加速性能および最高速度を実現し、また排ガス規制対応のため2ストロークから4ストロークへの転換を図り、『Z1』『Z2』の開発に携わるなど、カワサキオートバイのブランドを確立するとともに、ガスタービン研究に優れた業績を残した。
『日本自動車殿堂入り』されているのは、本田宗一郎・豊田喜一郎・鈴木修・髙橋国光など日本自動車業界の功労者が並んでいて、カルロス・ゴーンさんも名を連ねている格式高いものである。
★ ご縁があって、大槻幸雄さんとの一番最初の出会いは創成期のカワサキのレース・チームで、大槻さんはカワサキが鈴鹿のアマチュア6時間耐久レースに出場した時の初代のレース監督なのである。
1965年6月という旧い昔の話なのだが、因みにこのレースの助監督が元川崎重工業社長の田崎雅元さんであり、3台出したレーサーの1台に乗ったのが神戸木の実の歳森康師・金谷秀夫コンビで、金谷の最初のロードレース出場なのである。私は当時、レースのマネージメントを担当していて、それ以来50年以上のお付き合いで、今月13日には、大槻さんが会長をされている、カワサキに関係したOBたちのゴルフ会『Z1会』で、ご一緒することになっている。
その後、ドイツ留学をされて戻られた年の1966年に、FISCOであった日本GPの監督をされたのも大槻さんで、この年を最後に、大槻さんも私もレースチームからは引退するのだが、その後技術部の市販車の開発部門に戻られて、一番最初に開発責任者になられた車が、あの『マッハⅢ』なのである。
大槻さんとは、Facebook でも繋がっていて、今月もこんなメッセージを頂いたりしているのである。
ここで言われている東北への出張は、FISCOのGPレースから半年後のことで、私は仙台で東北6県を担当することになるのだが、その時の代理店会議の技術説明を大槻さんが引き受けて下さったのである。市販車の担当になられてすぐのこの時期に既に『Z1の構想』が、アタマにおありだったのである。
今回の受賞の説明の中に、大槻さんがひょとしたらZ1以上に『情熱を注がれたガスタービン』のことが、述べられているのは、非常によかったなと思っている。
★来週13日にある『Z1会』にはこんなメンバーが集まるのだが、
50年前の大槻さんが初代監督をされた時のライダーの一人飯原武志さんも、その当時のメカニックの藤原良弘さんも参加だし、杉本五十洋・多田喜代一・塚本昭一というかってのライダーも参加なのである。 歳森康師も、金谷秀夫も生前は、Z1会のメンバーだったのである。
何もなくても賑やか極まる『Z1会』なのだが、今回は大槻さんの受賞記念コンペのような形で、大いに盛り上がること請け合いなのである。
このコンペのメンバーは、ホントに多士済々なのだが、会社の職位など全く関係なく、横一線の気軽で明るい雰囲気は、ひとえに『大槻幸雄さんのお人柄』なのである。
今回の受賞で、大槻さんはさらに大きくおなりなのだが、間違いなく従来通りのお付き合いで大丈夫なのである。
大槻さん、ホントにおめでとうございました。 心からお祝い申し上げます。