★ 『鈴鹿8耐』が20万人の大観衆で溢れた1990年代の7月末の8耐ウイークは、私は毎年1週間鈴鹿で過ごしていた。
当時のKawasakiは、
国内4大メーカーでは、唯一優勝がなく、1983年(昭58)の2位(ラフォン・イゴア組)が最高だった。ルマン24時間レースは2連覇中、米国で最も伝統のあるデイトナ200マイルも昨年制していた。だが、どうしても8耐だけは勝てなかった。
などと論評されて、ルマン・24時間の常勝チーム Kawasaki Franceが参戦しても『高速耐久』の鈴鹿8耐には優勝のご縁がなかったのである。
それが1993年にS.ラッセル/A.スライト組での初優勝があったのだが、それ以来は健闘はするものの優勝には出会えなかった。
★今年は体制を強化し、#10「カワサキ・レーシングチーム鈴鹿8時間」がファクトリーチームとして28日の決勝に臨み、1993年以来、2度目の優勝を狙ったのである。
ライダーも、スーパーバイク世界選手権4度の王者、ジョナサン・レイなどトップクラスのライダーを揃えての挑戦だった。
FIM世界耐久選手権の最終戦でもあり、そのリーダーの#11カワサキ・フランスも参戦となった力の入れようだった。
レースの現場から長く離れてしまうと、『鈴鹿8耐』にもそんなに熱ぽい関心はなかったのだが、朝からテレビの実況放送だけはちょこちょこ観ていたのである。
1周目からトップを走ったし、今年は間違いなく強力であることは解ったのだが、2時間を残した5時過ぎの時点でもトップを走っていて、『これはひょっとするとひょっとするな』とテレビはつけっ放しで観ざるを得ない状態になった。
残り30分の時点でもトップを走っていたのだが、運悪く雨が降り出して、予断を許さない状況になったが、残り10分になっても2位ヤマハに差をつけていて、『これは勝った』と思っていてあと1周走れば優勝というまさに最終回に『まさかの転倒』なのである。
Facebook に貼り付けた最終段階の動画と、それに付した説明文である。
昨日の8耐 最後の最後の場面である。最終回にKwasaki 10 が転倒、赤旗が振られ、どうなったのかよく解らなかった時点である。一時Kawasakiの優勝が伝えられ喜ぶ様子が・・その後ヤマハの優勝が伝えられたりして、混乱していた時間帯である。
Kawasakiの優勝とはなったが、何となくすっきりしない優勝である。ただ今年のKawasakiは、実力的にもホンダ・ヤマハにちょっと差をつけていたなと、正直そう思ったのだが・・・
ホントにこのままで、優勝が確定するのだろうか?
https://www.facebook.com/rfuruya1?__tn__=%2CdC-R-R&eid=ARDhAS-_9eGHk8SyMWJRVwHZZrrDLUVwTbYIoLI4ejhQkPul8oWuk3Eum3cSlAqtmyjEZde7wOmIGHsF&hc_ref=ARSofbaFB0ykJYjKshSn8VSQVTPOL9MZWUnp19Z76Sv7La5HCfb7QuBt9XxaDEuKu04&fref=nf
今朝のニュースには、このような写真も
こんな報道もあるのだが、 赤旗が振られたことは確かだが、チェッカーフラッグを受けないレースの優勝など、ホントにあるのかな?
と思ったりもした。
Facebook の私の記事のコメントに 兵頭さんがこんなコメントを寄せて下さった。 兵頭真哉 賛否両論ありますよね。
薄暗くなった雨降る中のスズキのオイル撒き散らし、しかし引退する監督の為に完走したいライダーの気持ちもわかってあげたい。
残り数分、最高のレースでチェッカーフラッグを振りたい運営の気持ち。
ホンダの続投ライダーの意地。
ヤマハの5連覇をかけた最後の追い上げ。
しかし、不運な転倒はしましたがカワサキの速さは皆さん納得でしょう‼️
昨夜はモヤモヤしましたが冷静に振り返り、レイの喜ぶ姿を見て僕は素直によろこんでます😁
カワサキに感謝ッ🎵🎵
その時間帯のテレビからの動画の画面です。 8時間の残り2分が大変なことになりました。
暫定優勝だったがその後ルールに基づて、26年ぶりのカワサキの優勝が確定との発表があった。
やきもきしてた、カワサキファンたちも、やっと胸を張って『優勝おめでとう』が言える正式結果が出てよかった。
それにしても、7時間58分まで『優勝間違いなし』の走行だったのだが、最終回がホントに大変だったのである。
改めて『カワサキ優勝おめでとう!!』
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