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人間の記憶力???

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★昨日、日記を書きだした昭和28年の11月のことを書いたのだが、日記を書きだしたきっかけなどはちゃんと覚えていたのである。 

 そういう意味では人の記憶力もある程度確かなのかなと思っていたのだが、昭和29年(1954)の日記帳を1年間ざっと目を通してみたのだが、『記憶に全く覚えがない』こともいっぱいだったり、大学の3回生時代がどうだったのか? 

今まで自分で思っていたことと全く違っているので、『人間の記憶力???』など全くアテにならないなと思ってしまったのである。

 昭和28年の11月に医者に『肺浸潤』と診断されて、家で休養などしていたのだが『野球は止めずにそのまま続けていた』と思っていたのだが、流石に『春のリーグ戦』には出場せずに休養しているのである。

 それに、『学校では殆ど授業など出席してなかった』と思っていたのに、この年の前半は結構教室にも出ているのである。

 これなどは私にとって『全くの再発見』で、日記を若し読み返さなかったら、『野球は続けていたし、教室にも全く出なかった』ことになっているのだと思う。人間の『思い込み』が事実を曲げてしまうのである。

 人間の記憶などそれくらい、頼りないものだということを実感したのである。

 

★ 日記を読み返してみて、『肺浸潤』と診断されて医者に療養を言われてから半年は、結構ちゃんと養生しているのである。この間煙草も止めているし、医者にも通っている。

 肝心の野球部の春のリーグ戦は前年度までの最上級生が卒業してしまって、4回生は1人だけで我々の年次の3回生以下で対応しているのだが、春のリーグ戦は何とか最下位を免れたようなことで最悪の状況だったのである。そんなことすら覚えていなかったのだが、秋のリーグに備えて8月から野球を復帰しているのである。

 春の成績が悪くて、マネージャーにも復帰を頼まれたし、4回生の竹下さんからも、キャプテンは私に譲るからなどと言われて、秋のリーグからは3回生ながらキャプテンとなり、練習も試合の監督もやったりすることになっているのである。今まではそれが春のシーズンからだとばかり思いこんでいたのである。

 そんな責任を負わされたので、それ以降はそれこそ大学の授業など放たらかしで『野球一筋』だったし、部の練習も従来とは『様変わりした』徹底したものに変わっていったのである。

 

★日記帳に貼ってあった9月の新聞記事を見ても、春に最下位を争っていたのに、この記事にはこのように書かれている。

『大工大から1勝を奪ってから一躍クローズアップされた。田中投手の安定と遊撃古谷のカムバックで内野陣がまとまり打力も一試合ごとに急カーブで上昇し、チャンスに強い5番大村が長打を放ち自軍を盛り上げている。このコンデイションを如何に持続していくかが今後に残された上位進出のカギであろう。』と書かれている。

こんな新聞記事があったことすら全く覚えていないのである。

   

 

 この近畿6大学のリーグ戦は、この時期は未だ甲子園球場で開催されていたのである。 今の人たちには考えらえないかも知れないが、兵庫県の夏の予選も、甲子園と西宮球場で行われていたのである。

 さらに甲子園球場と言えば、その当時新春の正月に開催されていた兵庫県の高校のOB戦も、甲子園球場で行われていて、明石高校は常に優勝候補の筆頭だったし何度も優勝しているのである。

 この年の12月末の記事には『優勝候補の第1』に明石高校が挙げられていて、これはホントに強かったのである。

 中京ー明石の25回戦の遊撃手だった峰本さんが監督のこのチームは、その当時の実業団野球の全国大会に出ても、多分優勝候補に挙げられるようなそんな豪華な陣容だったのである。

   

  

 

ピッチャーには慶応当時朝日スポーツ賞を取り鐘化のエースだった山本治さん、私と同期で神戸製鋼のエースで毎年都市対抗の全国大会に出場していた溝畑圭一郎、川重でもピッチャーをした1年下の大塚健哉、野手では日生でも、当時の全日本でも4番を打ち、後、阪神に入った大津淳さん、当時は関学で後、日生の4番を打った国賀さんなどメンバーの殆どが、高校時代明石で甲子園の春夏を経験したメンバーが揃っていて、一応は私もその中に入れて貰っていたのである。

そんなこともあって、私が『一番多く野球のプレーをした球場は甲子園球場』という考えられないような野球人生だったのである。

何故か、この高校野球のOB戦だけはよく覚えているし、当時内外ゴムでも中京―明石の時の二塁手嘉藤さんが監督の準硬式のチームがあってそこにも明石のOBたちが集まってチームを造っていたのだが、兵庫県で優勝などしていたことなどはシッカリと覚えているのである。

 

★ この年の前半は『肺浸潤』の治療に医者にも通っていたからだとは思うが、9月のレントゲンでも回復という診断になっており、12月も『結果良し』の評価なのだが、これも全く記憶にないのである。 私の『肺浸潤』はその後『肺結核』になり、そのうち『空洞』が出来てしまったことは間違いないのだが、この年の年末には、一応『回復』していることになるのである。

 この翌年、最上級生の4回生の時は間違いなく『野球漬け』の1年だったし、5回生の時には1年卒業を伸ばして『監督に専念』するほど、野球に熱心だったので、この時代のことで学生時代全体を錯覚してしまっていたのである。

 人間の記憶とは『印象が強い』ものは覚えているのだが、日常のことは全く正確には覚えていないものなんだということが、日記を読み返してよく解ったのである。

 そんなこともあって『人間の記憶力???』という題にしているのだが、日記を読み返してみるのもなかなかイイので、若い頃の日記をもう一度読み返してみたいと思っている。

 

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