★大阪万博、2025年開催が決まった。
かっての大阪万博から55年ぶりだという。
まず思うのは『その時生きているのかな?』なのである。
『2020年の東京オリンピック』が決まった時も、同じようにそう思ったのである。
『まだまだ先のことだ』と思っていた東京オリンピックも、あと2年先のことになったので『何とかテレビでは観れるかな』と思うようにはなった今日この頃なのである。
『2025年大阪万博』が決まって、これはなかなかムツカシそうだが、ひょっとしたらひょとするかな などと思っている。
もし、その時生きていても、現実に観に行ったりすることはないと思う。
★かっての『大阪万博』は、昭和45年(1970)のことで、私にとっても想い出多い年だったのである。
大坂万博 Wikipedia には次のような記述がある。
1970年、日本では1964年の東京オリンピックに続いて、戦後復興著しい日本を世界に認知させる大イベントが開かれた。それが「日本万国博覧会」の開催だった。通称、大阪万博といわれ、その入場者数は6400万人をこえた。・・・・
1970年は、いろいろな意味で境目となった年であった。60年代に吹き荒れた学生運動の嵐は、なんら成果もなく一気に沈静化していった。そのなかで「よど号ハイジャック事件」が起きて、一般市民は学生運動や左翼から遠ざかっていく。生活シーンでは、フランチャイズ・チェーンの時代が幕を開けた、ケンタッキーやマクドナルドが一号店をオープンさせた。銀座や新宿などで「歩行者天国」が開始された。そして、ボーリングが大ブームとなっていた。・・・・・
1970年に行われた日本万国博覧会は日本人の2人に1人が訪れたという史上最大のEXPOだった。
★ いろいろな意味で境目となった年であった という記述があるが、カワサキにとっても、私にとっても間違いなく『境目』になった年である。
それまでは『実用車のカワサキ』として東北や九州が主力市場であったカワサキだが、世の中もカワサキも、『スポーツ車への展開』を目指して、特にカワサキは東京・大阪・名古屋などの大都会への市場展開を図った年なのである。
この年の10月に私は仙台から大阪に異動したのである。その時の大阪営業所はこの年から新設スタートされた店舗で、今のカワサキの政策の『カワサキプラザ1号店』になった店舗なのである。
当時はスポーツ車へのユーザーの関心も高まったのだが、暴走族も急激に増えて、まず万博の周回路に集まったりしたのである。
『日本人の2人に1人が訪れた』とあるが、ホントにそうなのかな?と思ってしまうのである。
実は『私たち』も仙台事務所の仲間と車で明石までの出張計画を組み、『途中で万博を見よう』と画策してやってきたのだが、そんな甘いものではなく、駐車場に近づくことすらムツカシクて諦めてしまったのである。
少なくとも私の周りの人で、大阪万博を見た人はあまりいないような気もする。
それは兎も角、55年ぶりの大阪万博、大成功になるように大阪も頑張って欲しい。
こんな島が、どのように様変わりするのだろうか?
関西圏がまた一段と、国際色豊かになることを期待したい。
『生きてるかな?』
NPO The Good Times のホ―ムページです